第五福竜丸新たな出航のコンサート(10月26日):佐藤久司

ピノッキオ&よだかの星の座日記で時々出てきた「第五福竜丸コンサート」。


26日はそのコンサートの日でした。
第五福竜丸展示館で「最後の武器」という野外劇をなんと55年ぶりに再演するのです。

第五福竜丸事件。

皆さんはご存知ですか?
1954年にビキニ環礁で、マグロ漁船の第五福竜丸が、アメリカ軍の水爆実験によって発生した放射性降下物(死の灰)に被爆した事件です。
その水爆は15メガトン。火の玉の直径は10kmで、広島の原爆の一千倍の力を持ち、500倍以上の死の灰を降らせました。もし東京に落ちたら名古屋までの人は半分死んでしまうぐらいの威力です。
第五福竜丸の23人の乗組員たちはその死の灰を浴び、無線長の久保山愛吉さんの死をはじめ大変な放射能被害に見舞われました。


その翌年から原水爆禁止世界大会が開かれたのですが、「最後の武器」という作品は、1958年第4回大会の閉会式で、そのシュプレヒコールとして約200人のひとたちで初演された安倍公房脚本、林光音楽、千田是也演出の野外劇なのです。

ぼくたちは光さんが作曲した五曲のうたをメインに、そのうたの持つ意味合いが最低限伝わるように台本を短く編集して公演することにしました。1959年に再演されて以来の久しぶりの上演です。


当日訪れた展示館に入りまず圧倒されたのは、やはりその第五福竜丸の姿です。
写真で見て想像していたよりもはるかに大きく、船についた汚れや傷跡が、当時のことを連想させ、目が釘付けになりました。

そして、船を取り囲むように、当時乗組員に寄せられた全国の人たちからの手紙や、原水爆の禁止の署名簿、黒田征太郎さんやこどもたちの描いたフクリュウマルやピカドンの絵などが並べてあり、これまで第五福竜丸に思いをよせてきた沢山のひとたちの歴史を感じて、今日のコンサートに対する思いが一段と強くなりました。


演奏は展示館の奥のスペースで行われ、100名ほどのお客さまが船の周囲を取り囲んで座ってご覧になりました。まるで福竜丸もお客さまの1員であるかのようです。


一発勝負の本番だったので、いつも以上に緊張したのですが、僕たちの言葉にうんうんと真剣に頷くお客さまを目の前にしたら、この公演の持つ意味あいをその場で改めて肌で感じ、血が熱くなって、緊張しているどころではなくなりました。





ラストの曲で、会場の皆さんが手拍子をしてくださり、僕たちはその中を歩きながら歌ったのですが、ふと見上げるとそこには第五福竜丸の姿が。
ひとびとが海の波のように力強くうねり、その中を第五福竜丸が航海しているように見える瞬間でした。


この演奏会に参加して、うたうことで伝えられることの無限の可能性、うたの力を改めて感じました。
そして、第五福竜丸の前で演奏できたことは、自分にとって貴重な財産であるとともに、これからの表現者としての自分にとって、このコンサートのタイトル通り「新たな出航」になったと思います。

今回のコンサートを企画してくださった展示館の安田さんと市田さん、事前の打合せからコンサートの後の打ち上げ、後片付けに至るまで沢山の汗を流してくださって本当に有り難うございました!

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