こんにゃく座40周年記念誌の編集もいよいよ大詰めである。
本当は年内にできあがっていなければいけないのだが、こんにゃく座40年の活動を ぎっしり詰め込んだ「本」の編集は、膨大な作業量で、刊行が一ヶ月遅れてしまうこととなった。
昨年の秋からは、ほとんど連日ものすごい勢いで仕事をして、やっとトンネルの向こうに光が見えてきた。金子くんは大みそかも元旦も事務所に来ている。
1月6日は朝から編集委員が集まって、校正に打ち込んでいた。稽古場では、『金色夜叉』の稽古が始まっていた。そして夕方、林光事務所の島田さんから電話がかかってきて、1月5日に林光さんが亡くなられたことを知る。
光さんは昨年9月24日、自宅の近くを歩いているときに転倒し、頭を強く打って病院に運ばれた。手術を受けたが、以来意識不明の重篤な状態が続いていたのである。
9月17日には『ゴーゴリのハナ』を見に来てくださって、その後、新作の打ち合わせをした。22日には私から電話をかけて10月30日のバースデーコンサートのための編曲を催促している。「できたら連絡するよ」それが光さんから聞いた最後のことばとなった。
3ヶ月間、光さんは眠り続けていた。今までもそんなにしょっちゅう相談していたわけではないが、相談したいときに相談できない、という事態をどう受け止めたらよいのか。まったく突然に、コミュニケーションがとれなくなってしまったという事態を受け止めることはなかなか困難なことだった。
10月22日、光さんは病院のベッドの上で眠ったまま80歳の誕生日を迎えられた。10月30日には「林光バースデーコンサート」が行なわれ、光さんのすごい新作がたくさん初演された。そしてこんにゃく座は12月29日に「こんにゃく座の40周年と林光さんの80歳を祝う会」を催し、光さんの快復を祈った。
だが、それから一週間後、光さんは遠くへ旅立ってしまった。
たくさんの音楽を残して、光さんは逝ってしまった。
たくさんの歌とオペラ。
そのオペラ作品を上演するのが、こんにゃく座の仕事だ。
作品を通じて、林光の音楽家としての思想を未来へ繋げていきたいと思う。
萩京子
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