「久保田由佳里追悼」 岡原真弓

久保田由佳里が2月21日、永眠しました。
56歳。すい臓ガンでした。

私は久保田由佳里とは一年違いの入座でした。私が1988年。久保田由佳里が1989年。
と言っても、彼女は私が入る前から座の研修所にいて座の本公演にゲストで出演して
いました。結局入座するのは私より後だったのですが、年齢も少し上で、落ち着いて
いるのでいつもお姉さん的でした。

私は大阪から出てきた頃、梅村博美や久保田由佳里や座に関係する沢山の人がいる浜
田山の女子寮みたいなアパートに住みました。共同生活が初めての関西人の岡原はな
にかと暴れていました。そんなとき久保田由佳里はニッコリ話を聞いてくれました。

『セロ弾きのゴーシュ』を、文化庁の芸術祭参加として都市センターホールで公演す
る時、座員がほとんど旅に出ているので、公演の制作を、新人である私、久保田由佳
里、石川貴美子の3人でやりました。公演の翌日にチケットの集計をしていて大混乱
して、疲れはてた時に3人で食べた〈ちからうどん〉の味は今でも忘れられません。

『魔法の笛』の初演の時です。小道具係だった私は、演出家に酷く怒られて楽屋で
ぎゃあぎゃあ泣いていました。そんなとき久保田由佳里は朝まで一緒に呑んでくれま
した。

歌役者が担うこんにゃく座の制作マネージャーという旅のシステムは私と久保田由佳
里で作り上げました。

久保田由佳里は、子作り宣言をして座の舞台からは降りても、演出助手をやりつづけ
てくれました。元さん(山元清多さん)が演出の時は、元さんはすぐ甘い物を食べ過
ぎてしまうので、野菜スティックを用意します。元さんはそれをボリボリ食べながら
演出してくれました。プラハの河童の伝説の話もきゅうりをボリボリ食べながらして
くれました。

久保田由佳里は子供ができてからは座の活動は少なかったけれど、おぺら小屋の編集
やファンクラブの事はずっとやり続けてくれました。40周年誌の編集も大奮闘してく
れました。

葬儀の時に、たくさんのママ友が来ていて、ああ由佳里は違う世界でも信頼されてた
んだなあとシミジミ思いました。
とにかく、弱音を吐かない、余計な事は言わない、素晴らしく気配りの出来る人でし
た。だから、病気の事も座員以外には内緒で、座員にだって辛くても辛いとは一切言
わず、平気な事を言ってました。

お別れがあまりにも突然でまだ受け止めきれていませんが、それでもこんにゃく座は
進まねばなりません。亡くなった日もタング組は連日稽古でしたが、夜にみんなで霊
安室で歌いました。ロボット組は葬儀に出たあと、稽古して旅に出発しました。銀河
組も稽古が始まりすぐに旅です。

私はキラリ☆かげき団で萩さんとひろかと稽古しています。キラリ☆かげき団は久保
田由佳里の最後のオペラ出演となった2014年の『にごりえ』を上演した団体です。

『ネズミの涙』のおっかあ役、天竺一座のスズの台詞にあります。「しけたつらして
んじゃないよ、また旅にでなくちゃなんないんだよ」
由佳里、これからもみんなで頑張るよ、空からみていてね。
本当にありがとう。安らかに。


1996年オペラ『夏の夜の夢』

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