これは、多分来年の秋頃に開催されるであろう「第3回やまなみこども園保育士さん達のコンサート」のとっかかりになるワークショップで、数ヶ月前から決まっていたものでした。
余震が続く中、山並園長と電話で何度も相談し、園関係者で亡くなられた方はなく、自主避難所になっていた園内のくじらホールで生活されていた近所の方々(多い時には100人以上おられた)も自宅へ戻られ、間もなく園も始められそう、やりましょ!その方が元気が出るかもしれない。その代わり、こういう状況で勇気、元気が出る歌をお願いします。という事で決行を決断。
熊本空港から、熊本益城大津線という道路を東から西へ車で30分程移動した広木町という町に、やまなみこども園がある。その途中の南側が今回最も被害の大きかった益城町だ。熊本益城大津線は全く被害はなく車もスムーズに動いているのだが、南へ目を移せば、いたるところ道路が陥没していたり、家は沢山倒壊しており、酷いところは一帯屋根しか見えない区画があったりして、そこに住んでいる人達の悲しみ、憤りがふつふつと伝わってくる。
こども園に着く直前の園長の自宅は屋根にブルーシートが被せられ、黄色の紙が貼られていた。屋根が損壊し、住むのにはとても危険ですよ、という事だ。くじらホールに着いた。なんと!ビクともしていない。ドーム型に作ったのが幸いして横揺れにはとても強かったらしい。げんに、ここの二階の屋根裏部屋(とっても楽しい部屋で、子供達の遊び場のひとつ)に二泊させてもらったのだが、夜中に3回震度4の余震があったうちの2回は、気がつかなかった。
園の母屋も黄色い紙は貼られていたが、外からは大きな被害は見当たらない。中へ入る。
落ちてきた家具や本などはキチッと元に戻って片付けてある。ホッとして二階へ上がると、何か違和感を感じた・・・・アップライトピアノが2台とも消えていた。倒れて壊れたのだ。地震の凄さに身震いする。
ワークショップが始まった。やまなみの保育士さんたちが15人くらい、他の保育園の保育士さんや、園児のお母さん、近所の歌に興味のある方々で15人くらい集まった。凄い。 選んだテキストは林光 作詞作曲 「夢へ」、萩京子 作詞作曲の「ぼくたちのオペラハウス」に返歌されたこんにゃく座のもうひとつのテーマソングだ。
むかし 広場に一本の柱 その周りで人々は踊り
木から木へはられた一枚のきれ その前で人々は歌う
人生の笑いと涙を 歌で綴れば
それがオペラ そこがオペラ小屋 ぼくたちのオペラハウス
ある日 広場に異変が起きる 柱もきれも踏みにじられて
大きな黒い鉄の箱が立つ 名付けて国立歌劇場
だがその中にオペラはない ただ借り物の声 借り物の言葉
・・・・・・・・・・・・・・
と続く。書かれた時代が歴然とする、赤裸々なメッセージソングだ。いつものように楽譜はわたさずに、模造紙に歌詞を縦書きにして始める。5番まであるこの歌は、言葉のイントネーションやニュアンスにより音程、リズムがコロコロ変わる。そしてそこが魅力的な歌でもある。変わる箇所は何度もやる。楽譜は見ずに耳で覚え何度もやる。そうしてるうちに縦書きの字を見るだけで音程とリズムが自然と、いや声の出し方も身体が覚えていく。そして、
そして ついに大きな黒い箱 音を立てて崩れると
廃墟には再び柱が立ち オペラは蘇る
のところで皆さんの思いと、こんにゃく座の思いと、皆さんが想像する座の思いが渾然一体となった。
2曲目は、長谷川四郎 詩 萩京子 作曲の 「朝のまがりかどの歌」
海が見えるか見えないか
朝のまがりかど曲がれ
一角獣がいるかいないか
朝のまがりかど曲がれ
砂漠と時計結びつけ
朝のまがりかど曲がれ
大砲がこっち向いてる
朝のまがりかど曲がれ
黒い鉛の海が見える
朝のまがりかど曲がれ
でっかい赤い太陽が沈む
朝のまがりかど曲がれ
同じく 歌詞を縦書きにしたものを貼り出した。この時点でいつもは聞いた事もないような囁きが・・・「一角獣がいるかいないかなんて、よか」 「長谷川四郎という人はしっとらさんけど、砂漠と時計結びつけ・・ってよかね」「大砲がこっち向いてるって・・・いまんこつ?」・・・おもしろか!
歌っていくと、皆さんのワクワク感とドキドキ感がくじらホールいっぱいに拡がっていた。この歌を教えてもらった気がした。 そして「 歌うって なんか よかっ !」と、言ってもらえた。
オペラシアターこんにゃく座 歌役者 大石哲史
* * *
写真は2015年11月、くじらホールに「森は生きている」の旅公演メンバーで行った時のものです。
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