ピノッキオの現場から・ベトナム編  萩京子

5月18日(金)

ジャカルタを旅立つ日。
出発前は、液体もの、刃物、薬などを、制作のトランクに入れるという恒例の作業がある。
個人の荷物は、機内持ち込みオンリーなので、上記のものは、自分のリュックには入れられないのだ。
それから、洗濯して各自の部屋に干していた衣裳(これは一晩では乾かないので、ビニール袋に入れて)を、舞台装置であるドンゴロスのひとつに入れるという作業。
チェックアウトもなかなか大変である。
インターネットやら、マッサージやら・・・。
よくチェックしないと、利用していないものが請求されていたりする。
オカハラのトレーニングパンツ行方不明騒動があって、ホテルのタオルと一緒にかたづけられてしまっていたのだった。
でも無事戻ってきた。

演出の伊藤多恵さんはジャカルタまでなので、ここでお別れ。
多恵さんは夜の便で帰国する。
めずらしいスカート姿でロビーまで見送りに来てくれた。

お世話になった基金の塚本さんと、熊谷さんとも空港でお別れ。
私たちはとうとう7人になった。

お茶でも飲んで、残ったルピア(インドネシアのお金)を使おうと、空港内をうろうろするが、何万ルピアという大きな桁のお金を持っていても、2~300円
だったりすので、入れるお店がなかなかない。
やっと見つかって、お茶を飲みながら、7人になったことをしみじみかみしめる。
(ひとり、初めての海外公演満喫中の田中さとみは、ショッピングに飛び回っていた!)

さて、タイ航空にて、バンコクでのトランジットをはさんで、ハノイへ向かう。
役者諸君は、次なる公演地ベトナム語のセリフの勉強に突入。
バンコクでのトランジット中、ベトナム人とおぼしき人を見つけては話しかけ、セリフを聞いてもらい、直してもらうという突撃レッスンを実行。
ベトナム語はとても難しい。
必死である。

ハノイに到着。
ハノイには基金の事務所はなく、基金から日本大使館に出向している基金の榛澤さんと、大使館の古館さん、下西さんが迎えに来てくれていた。
ハノイは雨。
ホテルにチェックイン。
オリエンタル&クラシック、かつ家庭的な雰囲気のホテル。
私の部屋は5階という名の6階。エレベーターなし!
その6階の住人は3人。
萩501,岡原502,井村503なのだが、おもしろいことに、この3つの部屋はある意味つながっていて、岡原の502はフィガロとスザンナの部屋のようなのだ。(わかりますか?)
さしずめ、井村は伯爵で、私は伯爵夫人かしら?
ホッホーッ!

5月19日(土)

今日も雨。
ハノイの朝は早い。7時前から通りがにぎやかで目が覚めてしまった。
ホテルの朝食はふつうのアメリカンブレックファーストか、ベトナムのフォーのどちらかを選べる。
全員迷わずフォー。
おいしかった。

10時に劇場入り。
ハノイ・オペラハウスである。
クラシックなつくり。
パリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)をこぶりにしたような、と言ったらいいのでしょうか?
ここで『ピノッキオ』をやるのか!
全員興奮気味。

まず劇場使用料を支払いに行く。
要するにオペラハウスも貸し小屋なのだ。
マレーシアとインドネシアは有料公演だったが、ベトナムは無料。
前評判は上々で、すでに予約で満席という。
いよいよ、ベトナム語が心配になる一同。
通訳の人をつかまえてはベトナム語の練習を開始。
しかし何度も直される。
お昼は外食。
街中に出かける。
車の通りが激しく、バイクの二人乗り、三人乗り、自転車、歩行者入り乱れて、よくぶつからないなあ、という感じである。
車窓からつかの間、街を見て楽しみ、また劇場にもどり、午後は場あたりと止め通し。
通訳のおふたりから、たくさんたくさん、直される。

夕食は日本食のお弁当、
夕食後、ゲネプロの予定だったが、方針を変更し、ベトナム語中心の稽古にする。
ベトナム語のセリフにしているシーンを徹底的にやる。
何パーセント伝わるのかな。
でも、泣き言も言っていられない。
役者はホテルに戻ってからも、ベトナム語の勉強。私は、基金の榛澤さんと、くすちゃん、あきちゃん、それから今日、コンニャク座のベトナム公演を見るために、自費でハノイにやってきた座員の彦ちゃん(!)
と一緒にビールを飲みに行く。

今日はホー・チミンの誕生日ということで、街はお祭り。大にぎわいであった。
ホー・チミンの誕生日にハノイにいることができて、ちょっと感動した。

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