2007年5月31日(木)
朝7時ロビー集合。
昨晩は、ピノッキオ全13ステージの打ち上げだったので、飲み過ぎの人が、よれよれになって、ロビーに現われる。
車で30分ぐらいで、ビエンチャンの空港に着く。なんと人の少ないこと。チェックインのところには私たちしかいない。貸し切り?
大使館の小野寺さんと西村さんとお別れし、飛行機に乗るまでのぼんやりとした時間を過ごす。
二日酔いや睡眠不足で、ベンチに横になっている人、買い物をしている人など。
そういえば、二日酔いでしばしベンチに倒れていた岡原真弓が、むっくり起き上がり、買い物に燃えていました!
さて、ラオスからまたタイのバンコクへ。
ラオスからは日本への直行便がないため、バンコクに飛び、一泊して日本に帰る、という計画である。
5月31日は、タイでは仏教の行事の関係で一年に一度の禁酒デーだそうで、私たちの唯一のお休みの日が禁酒デーとは!と嘆いていたのだった。
おまけに、昨日(5月30日)、憲法裁判所の判断で政党解散、という大変な事態になって、大きな政治集会が行なわれるかもしれない、というので、王宮前広場には近づかないように、というお達しが出た。
タイは一見平和そうに見えるが、軍部が強く、政情には緊張感がある。ベトナムからタイに降り立ったときは、落ち着いた感じがしたのだが、静かなるラオスからタイに着くと、ものすごく都会だな、と感じた。
舞台の道具は、空港のバッゲージに預け、個人の荷物だけ持ってホテルへ向かう。
チンダーさん運転のバンが迎えに来てくれた。
舞台衣裳の洗濯。ズボンはクリーニングに。上に着るシャツは各部屋に備えつけられている洗濯機で洗う。
私たちが泊まるホテルは滞在型なので、キッチンと洗濯機が備え付けられているのがありがたい。
各自も、日本に帰ってから洗濯しなくてすむように、せっせと自分のものを洗うのだった。
近くのスーパーの地下のフードコートで簡単にお昼を食べてから、買い物ツアーに出かける。
この間、岡原真弓という人は、帰国後の『まげもん』に備えて、お部屋でお勉強。(二日酔いも残っていたしね!)
夕方ホテルに戻り、夕食は、基金の内田さんがタイすき(タイ風すきやき)をご馳走してくださった。
内田さんは、今回のツアーの仕掛け人である。
小さな編成で、タイの地方をまわろう。というのが、このツアーの起こりだったのである。
チェンマイで公演するコースも考えられていたが、タイ東北を車で北上し、ラオスまで行く、というコースに私たちは飛びついた。車で旅をするのが、こんにゃく座の原点だから。ラオスまで行くことができてよかった。
マレーシア、インドネシア、ベトナム、と、各国であたたかく迎えてもらい、公演も好評で…、ほんとうにうれしい打ち上げ。
そうそう、この企画だったので新作『ピノッキオ』をつくることができたのである。たった4人の出演者で、荷物も少なく……。
禁酒デーではあったが、店ではビールを出してもらえた。なんというありがたさ!
夕食の帰りに、パッポンという繁華街に出て、夜店で買い物。
今日は禁酒デーのため、幾分静かだというが、眠らない街、という感じ。
ゴーゴー・バー(懐かしい言葉!)がひしめいている。仕上げにタイ古式マッサージ二時間コース。バンコクの夜を堪能しました。
6月1日(金)
バンコク最後の日。
フライトは夜の22時半なので、一日たっぷり遊べるのである。が、体力温存しなくては、という気持ちがある。
日本に帰ってからの現実が、急に迫ってくる。『ピノッキオ』の歌役者たちは、帰国したら皆『まげもん』チームである。すぐに稽古が始まる。
すでに、ピノッキオ組以外のメンバーは稽古を始めている。
岡原真弓はこれまで「お春」を演じてきたが、今回「お絹」をやる。初役である。「お絹」はソプラノの役だったのだが、岡原のためにメロディーも書き換えた。こんにゃく座では、よくあること。
岡原は語学地獄が去った今、イヤホン聴きながら「お絹」の音と格闘している。
山崎、田中、萩は、11時すぎに、基金の事務所にご挨拶に行った。無事、タイ東北公演とラオス公演を終えて帰ってきたことを吉川所長に報告。お世話になったドアンチャイさんとラワンさんへのラオスのお土産を託した。
事務所を後にして、一階に降りてきたら、ラワンさんと会えてびっくり!ラワンさんは、ホテルに私たちを訪ねてくださったのだが、私たちがいなかったので、事務所の方に来たところ、私たちと会えたというわけ。(事務所とホテルは徒歩5分くらいの距離である。)
ラワンさんからみんなへのおみやげをもらった。ロボット、ゴーシュ、そしてピノッキオと、ずっと通訳していただいているラワンさん。今回、旅を共にして、一層親しくなれた気がする。
さて、ラワンさんと別れて、田中さとみは伊勢丹へ。山崎、萩はチャトチャック公園のウィークエンド・マーケットへ。なんだかんだといいながら、まだ買い物しようという根性である。
市場はとっても広い。
暑くて目が回りそうである。
今日は金曜日なので、まだ静かで、準備中のところが多かったが、人が少ないのはよいことで、開いている店では、落ち着いて買い物できた。
ホテルのチェックアウトは15時。
ぎりぎりにホテルに戻って、大慌てで荷造りする。チェックアウトをすませても、出発までまだ時間がある。18時半にホテルを出て空港へ向かうのである。
お昼も食べずに買い物していたので、昨日と同じスーパーの地下のフードコートで食事。
井村くんは昨日も今日も、「ラーメン」と日本語ののれんがかかっている店で、チャーハンとギョーザかなにか食べていた。
私はトムヤム麺と言うものを食した。100円くらいで食べられる。
そして、出発までの時間、井村、田中、山崎、萩、というメンバーで、最後のマッサージへ!
この休日の過ごし方をどうするか、というとき、タイが初めてのさとみちゃんに、エメラルド寺院とか行きたくない?と聞いても、あまり行きたくなさそうなのだ。さとみは大仏が大嫌い。そして仏像というもの全般、あまり好きでなさそうであった。だからお寺に行く気になれないみたい。
タイでの休日は、結局観光はせず、買い物とマッサージでした。
18時半、ホテルに集合して、空港へ出発。
すごい渋滞で、いろいろな街並みをゆっくり車窓から眺めることができた。無事、空港に到着。預け荷物…ドンゴロスやトランク…を受け取り、その中に、お土産を詰め込む。
内田さんとのお別れはちょっと切なかった。
ほんとうに旅は出会いと別れの連続だなあ、と思う。
さて、チェックインした後、夕食を、ということになった。このツアーではじめてのメインメンバー7人での食事。空港内でのちょっとおしゃれなレストランでタイ料理の食べおさめ。食べた!食べた!
22時25分発、JL718便で日本へ向かう。
途中すごく揺れて目が覚めた。そもそもぐうぐう眠っていたのは私だけかな?眠れなかった人もいたようだ。
日本時間の朝5時、私の時計はまだ3時だったが、「みなさまおはようございます!」という有無を言わさぬさわやかな声で起こされる。そしておかゆの朝ご飯が配られる。3時だよ!3時!
と言いたいが、時差は2時間、もう5時なのであって、6時半には着陸。
成田には、土居麦運転のハイエースが迎えに来てくれていた。
忠地あずみ、田上ナナ子も一緒に。早起きして、来てくれたんだね。
ありがとう!無事、帰ってきました。
この『ピノッキオ』アジアツアーで得たものを、これからどう生かしていくか。たくさん、考えなくてはいけません。でも、ひとまず、お疲れ様、です!
この長い長い報告を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
萩京子
ピノッキオの現場から・写真編 お家に着くまでがツアーです! 制作アキ
ピノッキオの現場から・ 写真編 ラオス・ヴィエンチャン公演 制作アキ
お帰り!ピノッキオ 制作タダチ
ピノッキオ組の7名、29日間のアジアツアーを終え、
本日無事日本帰国しました!
お迎えに行ったハイエースの前で最後の集合写真です。
昨夜遅くバンコク発早朝成田着便なので、ほとんど寝てない人達、
さすがにお疲れ気味だが、みんな無事です。
いろんな所へ行って…いろんな人に会って…
オペラ「ピノッキオ」は、物語と同じように成長して戻ってきました。
各地で支えてくださったたくさんの方々、
作品の誕生とこのツアーの実現に力をそそいでくださった
元さん、多恵さん、良さん、クスダさん、あきちゃん、
そして日本で応援してくださっている皆々様、
ありがとうございました!
ピノッキオ組のみんな、ほんとうにお疲れ様でした~
本日無事日本帰国しました!
お迎えに行ったハイエースの前で最後の集合写真です。
昨夜遅くバンコク発早朝成田着便なので、ほとんど寝てない人達、
さすがにお疲れ気味だが、みんな無事です。
いろんな所へ行って…いろんな人に会って…
オペラ「ピノッキオ」は、物語と同じように成長して戻ってきました。
各地で支えてくださったたくさんの方々、
作品の誕生とこのツアーの実現に力をそそいでくださった
元さん、多恵さん、良さん、クスダさん、あきちゃん、
そして日本で応援してくださっている皆々様、
ありがとうございました!
ピノッキオ組のみんな、ほんとうにお疲れ様でした~
ピノッキオの現場から・ラオス最終報告! 萩京子
5月30日(水)
歌役者諸氏は、ラオ語のセリフの勉強をしつつ、ゆったりと半日を過ごしたはずである。
基金の内田さんと、山崎、萩の3人は、昨日ワークショップを企画してくださった
ラオス日本センターの施設を見学に行く。
日本センターの花園千波さんが迎えに来てくださって、朝9時出発。
ホテルからそう遠くはない。
そもそもビエンチャンの町がそんなに大きくないから、どこへ行くにもそれほど遠くないのかもしれない。
日本センター(ラオス日本人材開発センター)は、ラオス国立大学の膨大な敷地の一角に、
経済学部の建物と隣接して建っている。
この経済学部の建物と日本センターを、日本の資金で建設したということだ。
ラオス日本センターには、ビジネス教育、日本語教育、
文化交流という3つの柱があり、日本に関する文献を集めた図書館や、
パソコン実習室など、充実した施設内を、佐藤幹治所長(チーフアドバイザー)が案内してくださった。
ラオス大学の学生が積極的に利用している様子である。
午前の早い時間なのに、大勢の学生が来て勉強していた。
「次回、ラオスに来たときは、ぜにここで公演してください」と、見せてもらったホールは、
フロアも広く、後方は階段になっているので見やすいだろう。
300人以上収容できる。
『ピノッキオ』をここでやることも可能だ。
街中から少し離れているので、一般の人は来にくいだろうが、
ラオス国立大学の学生に見てもらうことが可能である。
所長の佐藤さんとお話していると、すぐ次のラオス公演が実現できるような気になってしまう。
まだ今回の公演が終わってもいないのに(!)
ラオスには、「ロミオとジュリエット」と同じ物語が語り継がれているので、「ロミオとジュリエット」を上演すれば受けること間違いなし、
とか、「一休さん」とよく似た話もあるので、それを題材にオペラを作ったらどうか、とか、
どんどん話が盛り上がってしまうのだった。
日本センターを後にして、次に、市場に連れて行ってもらう。
ホテルから歩いてもいかれる距離にあるタラート・サオという市場。
市場へ行く途中、タート・ルアンというラオスのシンボル的な黄金の塔に立ち寄る。
正方形の塔をぐるっとひとまわりするうちに、にわか雨が降ってきた。
雨はすぐにやみ、さて市場。
ラオスの市場はおっとりしている。
「らっしゃい、らっしゃい!安いよ、安いよ!」というような呼び込みがない。
商品を見ていると、ニコニコとそばに来る。
座員へのおみやげなど、おみやげリストを片手に、汗だくになって買い物。
ラオスの通貨はキップだが、ドルも通用するし、タイのバーツもOK.
「いくら?」と聞くと、何ドル、と答えてくれる。
私たちはドルを持ってきていないし、キップにも両替しなかったのでバーツで支払う。
ドルだといくら。キップだといくら。バーツだといくら・・・・。
ラオスにいる間中、この3種類の通貨の数字が、頭の中をグルグルした。
お昼は地元の食堂でカオピックという餅米の麺を食べる。
タイでもそうだが、テーブルの上には、唐辛子、お酢などとともに、砂糖がおいてある。
コーヒー用ではなく、料理に入れるのだ。
こちらの人たちは、運ばれた料理にこの3種類をかけて、辛く、酸っぱく、甘くして、食べるのある。
地元のやり方にしたがうのがモットーだけれど、どうもまだ、お砂糖をかけて食べる、ということはやれていない。
唐辛子と黒酢をかけて食べた。
おいしかった。
13時に劇場入り。
準備をして、16時から通し稽古。
昨日も今日も、衣裳をつけず、稽古着のまま通しをしたので、
通訳のサリさんが、「衣裳はあるのですか?」と心配そうに聞いてきた(笑)。
そして最後のセリフのチェック。
通訳のおふたりに、「たいへんよくなりました」と、誉めてもらって、
いよいよ本番。
アジアツアー最終ステージ。
ラオス・ビエンチャン公演。
会場は1300人収容のラオス国立文化会館。
最前列はVIP席。
桂日本大使ご夫妻、ラオスの情報文科省の副大臣、カンボジア大使、韓国大使、中国大使・・・・・・・など、
まあVIP席が足りなくなるほどたくさんのVIPが家族連れでご来場。
こんなことはラオスでもめずらしいことだそうだ。
私たちも、こんな状況は初めてである。
「『森は生きている』の宮殿の場面だと思えばいいよね」などと
ばかなことを、舞台の袖で言い合っている。
一般のお客様の入りも上々で、一階席(約1000席)が8割方埋まった。
これまでの国では、「ピノッキオ」のものがたりは、一般的に知られていたが、ラオスでは知られていないとのこと。
開演前に、通訳のワンさんがかげマイクで、あらすじを紹介した。
さて開演。
ラオ語の反応も上々で、とても良い感じで進んでいった。
オペラをはじめて見る人がほとんどだが、外国人の観客もたくさん来ていた。
オペラ、ということで興味を持ってくれたのだろうか。
だから、客席からはいろいろな反応があった。
最後に、人形である4人の歌役者がドンゴロスのなかに入り、ピノッキオの手だけが「バイバイ」をする。
客席からは大きな拍手。
一同礼をすると、「ブラボー!」も聞こえた。
クアラルンプールで幕を開け、ジャカルタ→ハノイ→バンコク→ナコン・ラリャシマー→コーンケン→ウドンタニ、
そしてビエンチャンと旅してきた。
ハノイあたりまでは、作品が立ち上がっていく過程と言えるだろうか。
そしてバンコクからの旅で、少しずつ自由になってきたと思う。
各地の言葉と格闘しながら、ここまで来た。
感動的なラストステージだった。
みなさん、お疲れ様ー!
そして最後のパッキング。
ラオスから日本への直行便はないので、バンコクに一度立ち寄り、日本に帰る。
完全なパッキング。
23時ころ劇場を出る。
斜め向かいのホテル(徒歩1分)まで、車で送ってもらう!
さて、それからホテルの部屋で、打ち上げ飲み会。
日本センターの花園さんも参加。
基金の内田さんはワインを赤白2本、用意してくれていた。
ラオスはフランスワインが豊富で、しかも安いのです!
飲んでしゃべって、話はつきない。
でも明日の出発は早い。
午前2時ころ、おひらき。
アジアツアー13ステージ、無事終わった。
一同、大きな病気もケガもなく、ここまで来ることができ、本当によかった。
仕掛け人の内田さん、ありがとうございました。
そして、各地でお世話になってみなさん、
日本で応援してくださったみなさん、
日本で活動している、こんにゃく座のみんな!
ありがとう!
歌役者諸氏は、ラオ語のセリフの勉強をしつつ、ゆったりと半日を過ごしたはずである。
基金の内田さんと、山崎、萩の3人は、昨日ワークショップを企画してくださった
ラオス日本センターの施設を見学に行く。
日本センターの花園千波さんが迎えに来てくださって、朝9時出発。
ホテルからそう遠くはない。
そもそもビエンチャンの町がそんなに大きくないから、どこへ行くにもそれほど遠くないのかもしれない。
日本センター(ラオス日本人材開発センター)は、ラオス国立大学の膨大な敷地の一角に、
経済学部の建物と隣接して建っている。
この経済学部の建物と日本センターを、日本の資金で建設したということだ。
ラオス日本センターには、ビジネス教育、日本語教育、
文化交流という3つの柱があり、日本に関する文献を集めた図書館や、
パソコン実習室など、充実した施設内を、佐藤幹治所長(チーフアドバイザー)が案内してくださった。
ラオス大学の学生が積極的に利用している様子である。
午前の早い時間なのに、大勢の学生が来て勉強していた。
「次回、ラオスに来たときは、ぜにここで公演してください」と、見せてもらったホールは、
フロアも広く、後方は階段になっているので見やすいだろう。
300人以上収容できる。
『ピノッキオ』をここでやることも可能だ。
街中から少し離れているので、一般の人は来にくいだろうが、
ラオス国立大学の学生に見てもらうことが可能である。
所長の佐藤さんとお話していると、すぐ次のラオス公演が実現できるような気になってしまう。
まだ今回の公演が終わってもいないのに(!)
ラオスには、「ロミオとジュリエット」と同じ物語が語り継がれているので、「ロミオとジュリエット」を上演すれば受けること間違いなし、
とか、「一休さん」とよく似た話もあるので、それを題材にオペラを作ったらどうか、とか、
どんどん話が盛り上がってしまうのだった。
日本センターを後にして、次に、市場に連れて行ってもらう。
ホテルから歩いてもいかれる距離にあるタラート・サオという市場。
市場へ行く途中、タート・ルアンというラオスのシンボル的な黄金の塔に立ち寄る。
正方形の塔をぐるっとひとまわりするうちに、にわか雨が降ってきた。
雨はすぐにやみ、さて市場。
ラオスの市場はおっとりしている。
「らっしゃい、らっしゃい!安いよ、安いよ!」というような呼び込みがない。
商品を見ていると、ニコニコとそばに来る。
座員へのおみやげなど、おみやげリストを片手に、汗だくになって買い物。
ラオスの通貨はキップだが、ドルも通用するし、タイのバーツもOK.
「いくら?」と聞くと、何ドル、と答えてくれる。
私たちはドルを持ってきていないし、キップにも両替しなかったのでバーツで支払う。
ドルだといくら。キップだといくら。バーツだといくら・・・・。
ラオスにいる間中、この3種類の通貨の数字が、頭の中をグルグルした。
お昼は地元の食堂でカオピックという餅米の麺を食べる。
タイでもそうだが、テーブルの上には、唐辛子、お酢などとともに、砂糖がおいてある。
コーヒー用ではなく、料理に入れるのだ。
こちらの人たちは、運ばれた料理にこの3種類をかけて、辛く、酸っぱく、甘くして、食べるのある。
地元のやり方にしたがうのがモットーだけれど、どうもまだ、お砂糖をかけて食べる、ということはやれていない。
唐辛子と黒酢をかけて食べた。
おいしかった。
13時に劇場入り。
準備をして、16時から通し稽古。
昨日も今日も、衣裳をつけず、稽古着のまま通しをしたので、
通訳のサリさんが、「衣裳はあるのですか?」と心配そうに聞いてきた(笑)。
そして最後のセリフのチェック。
通訳のおふたりに、「たいへんよくなりました」と、誉めてもらって、
いよいよ本番。
アジアツアー最終ステージ。
ラオス・ビエンチャン公演。
会場は1300人収容のラオス国立文化会館。
最前列はVIP席。
桂日本大使ご夫妻、ラオスの情報文科省の副大臣、カンボジア大使、韓国大使、中国大使・・・・・・・など、
まあVIP席が足りなくなるほどたくさんのVIPが家族連れでご来場。
こんなことはラオスでもめずらしいことだそうだ。
私たちも、こんな状況は初めてである。
「『森は生きている』の宮殿の場面だと思えばいいよね」などと
ばかなことを、舞台の袖で言い合っている。
一般のお客様の入りも上々で、一階席(約1000席)が8割方埋まった。
これまでの国では、「ピノッキオ」のものがたりは、一般的に知られていたが、ラオスでは知られていないとのこと。
開演前に、通訳のワンさんがかげマイクで、あらすじを紹介した。
さて開演。
ラオ語の反応も上々で、とても良い感じで進んでいった。
オペラをはじめて見る人がほとんどだが、外国人の観客もたくさん来ていた。
オペラ、ということで興味を持ってくれたのだろうか。
だから、客席からはいろいろな反応があった。
最後に、人形である4人の歌役者がドンゴロスのなかに入り、ピノッキオの手だけが「バイバイ」をする。
客席からは大きな拍手。
一同礼をすると、「ブラボー!」も聞こえた。
クアラルンプールで幕を開け、ジャカルタ→ハノイ→バンコク→ナコン・ラリャシマー→コーンケン→ウドンタニ、
そしてビエンチャンと旅してきた。
ハノイあたりまでは、作品が立ち上がっていく過程と言えるだろうか。
そしてバンコクからの旅で、少しずつ自由になってきたと思う。
各地の言葉と格闘しながら、ここまで来た。
感動的なラストステージだった。
みなさん、お疲れ様ー!
そして最後のパッキング。
ラオスから日本への直行便はないので、バンコクに一度立ち寄り、日本に帰る。
完全なパッキング。
23時ころ劇場を出る。
斜め向かいのホテル(徒歩1分)まで、車で送ってもらう!
さて、それからホテルの部屋で、打ち上げ飲み会。
日本センターの花園さんも参加。
基金の内田さんはワインを赤白2本、用意してくれていた。
ラオスはフランスワインが豊富で、しかも安いのです!
飲んでしゃべって、話はつきない。
でも明日の出発は早い。
午前2時ころ、おひらき。
アジアツアー13ステージ、無事終わった。
一同、大きな病気もケガもなく、ここまで来ることができ、本当によかった。
仕掛け人の内田さん、ありがとうございました。
そして、各地でお世話になってみなさん、
日本で応援してくださったみなさん、
日本で活動している、こんにゃく座のみんな!
ありがとう!
ピノッキオの現場から・ラオス 萩京子
5月29日(火)
今日は、岡原と萩は、ラオス日本センターがセッティングしてくれた、
ラオスナショナルシアター、ラオスオペラシアター&ラオスパペットシアターとのワークショップに出かける。
ラオス日本センターの正式名称は、「ラオス日本人材開発センター」で、
JICAが運営している。
JICAとは、独立行政法人国際協力機構。
ラオスには、国際交流基金の事務局がないので、今回のこんにゃく座公演に関しては、
日本大使館が全面的に協力してくれているのだが、日本センターも協力の名乗りを上げてくれた。
国際交流基金の事務局が無い国では、日本センターが、国際交流基金と同じ役割を
果たしているそうだ。
カンボジアやミャンマー、ウズベキスタンなどでも、日本センターが日本文化を紹介している、
とのこと。
ワークショップは、午前9時から、ラオスナショナルシアターの稽古場でおこなわれた。
上記各劇団の劇団員が30名くらい参加してくれた。
ラオスオペラシアターという名称だが、その「オペラ」は西洋オペラではなく、
ラオスの伝統的な歌芝居である。
はじめに、ラオスオペラシアターの成り立ちについてお聞きした。
1992年に設立され、現在劇団員は40名ほど、というところは、こんにゃく座と似ていなくもない。
劇団は5つの部署から成り立っていて、①計画部(これは企画制作+文芸部にあたる)
②演技部③音楽部④演出部⑤事務局、となっている、というようなお話を興味深く聞いた。
ラオスの若い人たちが、タイから入ってくる新しい文化に興味が行ってしまって、
ラオスの伝統文化にどうようにして興味を持ってもらうか、という点で苦労
されている、とのことだった。
次に、こんにゃく座について、私が話をした。
そして、ソングを何曲か演奏。
(岡原のアコーディオン、萩のピアニカ、という編成でできる曲を、昨日ホテル
で練習したのだった!)
それから、こんにゃく体操を一緒にやり、最後に、『ピノッキオ』のテーマソングを歌唱指導した。
「ピ」「ノ」「キ」「オ」という音を表すラオ語の文字を紙に書いてもらい、、
それを指し示しながら、ことばあそびで成り立っている「ピノッキオのテーマソング」を
歌ってみせると、あっという間に一緒に歌うことができた。
その後、ラオスの伝統的な歌芝居と、人形芝居の一場面も見せていただいた。
このような機会を、ラオス側のみなさんはとても喜んでくださった。
私たちも、ラオスの舞台芸術にふれることができて、とてもよかったと思う。
昼食後、公演場所であるラオス国立文化会館へ行く。
岡原、萩以外のメンバーは、午前10時から仕込みをしてくれていた。
大きい!
キャパは1300くらい。
今ツアー最大の広さである。
仙台の宮城県民会館などに似ている。
なつかしい感じです。
会場の音の響きは悪くなさそうである。
ただ、ピアノの状態が悪い。
ヤマハのS4。
何をどうしたら、このような状態になってしまうのか、というほど、弱り切っているピアノである。
当初、弦が3カ所切れていたので、日本から弦を送り、張り替えてもらった。
新しい弦はピカピカで、他の弦はさびている。
でもピアノがあるだけでありがたい、と、思うことにする。
13時から、場当たりを兼ねて、ラオ語のセリフを通訳のワンさんとサリさんに
チェックしてもらう。
それが17時くらいまで。
まあ、このへんで、今日はおしまいかなー、と思っていると、歌役者諸氏が「通しをしよう」と言い出す。
明日の本番前も通したい、と言う。
通してやらないと、ラオ語のセリフが心配なのだそうだ。
わかりましたー!
やりましょう!
そして、通しで鳴らないピアノと格闘するうちに、なんだか少し鳴ってきたような・・・。
20時ころ劇場を出る。
朝、ワークショップをやって、夜、通しをやって、私はもうクタクタです!
でも、残すところ明日の1公演のみ。
がんばろうね!
今日は、岡原と萩は、ラオス日本センターがセッティングしてくれた、
ラオスナショナルシアター、ラオスオペラシアター&ラオスパペットシアターとのワークショップに出かける。
ラオス日本センターの正式名称は、「ラオス日本人材開発センター」で、
JICAが運営している。
JICAとは、独立行政法人国際協力機構。
ラオスには、国際交流基金の事務局がないので、今回のこんにゃく座公演に関しては、
日本大使館が全面的に協力してくれているのだが、日本センターも協力の名乗りを上げてくれた。
国際交流基金の事務局が無い国では、日本センターが、国際交流基金と同じ役割を
果たしているそうだ。
カンボジアやミャンマー、ウズベキスタンなどでも、日本センターが日本文化を紹介している、
とのこと。
ワークショップは、午前9時から、ラオスナショナルシアターの稽古場でおこなわれた。
上記各劇団の劇団員が30名くらい参加してくれた。
ラオスオペラシアターという名称だが、その「オペラ」は西洋オペラではなく、
ラオスの伝統的な歌芝居である。
はじめに、ラオスオペラシアターの成り立ちについてお聞きした。
1992年に設立され、現在劇団員は40名ほど、というところは、こんにゃく座と似ていなくもない。
劇団は5つの部署から成り立っていて、①計画部(これは企画制作+文芸部にあたる)
②演技部③音楽部④演出部⑤事務局、となっている、というようなお話を興味深く聞いた。
ラオスの若い人たちが、タイから入ってくる新しい文化に興味が行ってしまって、
ラオスの伝統文化にどうようにして興味を持ってもらうか、という点で苦労
されている、とのことだった。
次に、こんにゃく座について、私が話をした。
そして、ソングを何曲か演奏。
(岡原のアコーディオン、萩のピアニカ、という編成でできる曲を、昨日ホテル
で練習したのだった!)
それから、こんにゃく体操を一緒にやり、最後に、『ピノッキオ』のテーマソングを歌唱指導した。
「ピ」「ノ」「キ」「オ」という音を表すラオ語の文字を紙に書いてもらい、、
それを指し示しながら、ことばあそびで成り立っている「ピノッキオのテーマソング」を
歌ってみせると、あっという間に一緒に歌うことができた。
その後、ラオスの伝統的な歌芝居と、人形芝居の一場面も見せていただいた。
このような機会を、ラオス側のみなさんはとても喜んでくださった。
私たちも、ラオスの舞台芸術にふれることができて、とてもよかったと思う。
昼食後、公演場所であるラオス国立文化会館へ行く。
岡原、萩以外のメンバーは、午前10時から仕込みをしてくれていた。
大きい!
キャパは1300くらい。
今ツアー最大の広さである。
仙台の宮城県民会館などに似ている。
なつかしい感じです。
会場の音の響きは悪くなさそうである。
ただ、ピアノの状態が悪い。
ヤマハのS4。
何をどうしたら、このような状態になってしまうのか、というほど、弱り切っているピアノである。
当初、弦が3カ所切れていたので、日本から弦を送り、張り替えてもらった。
新しい弦はピカピカで、他の弦はさびている。
でもピアノがあるだけでありがたい、と、思うことにする。
13時から、場当たりを兼ねて、ラオ語のセリフを通訳のワンさんとサリさんに
チェックしてもらう。
それが17時くらいまで。
まあ、このへんで、今日はおしまいかなー、と思っていると、歌役者諸氏が「通しをしよう」と言い出す。
明日の本番前も通したい、と言う。
通してやらないと、ラオ語のセリフが心配なのだそうだ。
わかりましたー!
やりましょう!
そして、通しで鳴らないピアノと格闘するうちに、なんだか少し鳴ってきたような・・・。
20時ころ劇場を出る。
朝、ワークショップをやって、夜、通しをやって、私はもうクタクタです!
でも、残すところ明日の1公演のみ。
がんばろうね!
ピノッキオの現場より・ラオス写真編 制作あき
ピノッキオの現場より・ついにツアー最終地ラオス到着! 萩京子
5月28日(月)
タイからラオスへ移動する日。
タイ東北地方の旅を共にしてきた、基金のドアンチャイさんとラワンさんは、飛行機でバンコクへ帰る。
朝8時にお見送り。
また数日後にバンコクで会えるものの、お別れはちょっともの悲しい。
タイのウドンタニという場所で、タイ人のおふたりのお見送りをする、というのも、なんとも不思議なものである。
私たちは10時にホテルを出る。
国境の町、ノーンカイまでは、1時間くらい。
まっすぐな道が続いている。
メコン川を渡り、国境を越えるのである。
まず、タイ側で出国手続き。
タイ側まで、ラオスの日本大使館の小野寺麻希子さんが迎えに来てくれていた。
ラオスのトラックに荷物を積みかえる。
タイでの荷物を運んでくれた運転手のナットくんともここでお別れ。
それから、私たちを運んでくれたチンダーさんともお別れ。
(チンダーさんとは、またすぐバンコクで会える!)
そして今度は、ラオスへの入国手続きをすませ、一同、ラオスの日本大使館が用意してくださったバンに乗り込み、国境を越える。
メコン川にかかる橋の名前は「友好橋」。
タイ側と橋の上は左車線。
ラオスに入ると右車線になる。
ビエンチャンまでは、すぐだった。
とても静かな街。
ラオスの人口は北海道と同じくらい。(600万弱?)
土地の面積は本州と同じくらいだそうである。
お昼前にホテルに着く。
ホテルのすぐそばに、公演場所であるラオス国立文化会館が見える。
立派な建物である。
中国政府の援助で建てたのだそうだ。
今日は会場を見ることはできない。
お昼はホテルの近くのレストランで、ラオス料理を食べた。
竹の籠に入ったもちごめのご飯。赤米と白米、めでたく紅白二色食べた。
タムマークフン(?)という、パパイアを千切りにしたサラダやソーセージ。
いきなりラオス料理を満喫した。
午後の時間はラオスの言葉、ラオ語の勉強。
それから、岡原と私は明日行うワークショップの打ち合わせなど。
そして夜は大使公邸での夕食会があった。
問題は服装である。
一同、旅の服装と言えば、仕込みをしたり、体操をしたり、動きやすいカジュアルなものばかり。
それでも、とにかく持ってきている服の中で一番きれいなかっこうをしていこうと、アイロンをかけるやら、道中で買ったスカーフを巻き付けるやら、いろいろ
工夫したのであった。
メコン川沿いに建つ公邸の庭からの眺めはすばらしかった。
川の向こうはタイなのである。
メコン川の向こうに、真っ赤な太陽が沈んでいった。
お料理は、長旅の私たちを気づかってくださって、たいへんうれしい日本料理だった。
大使公邸での夕食会なんて、私たちはなかなか経験できることではないだろう。
桂大使といろいろお話できて、楽しかった。
今日もまた、未知の世界に一歩足を踏み入れた気がする。
お礼に歌を数曲歌って、大使公邸を後にしたのでした。
タイからラオスへ移動する日。
タイ東北地方の旅を共にしてきた、基金のドアンチャイさんとラワンさんは、飛行機でバンコクへ帰る。
朝8時にお見送り。
また数日後にバンコクで会えるものの、お別れはちょっともの悲しい。
タイのウドンタニという場所で、タイ人のおふたりのお見送りをする、というのも、なんとも不思議なものである。
私たちは10時にホテルを出る。
国境の町、ノーンカイまでは、1時間くらい。
まっすぐな道が続いている。
メコン川を渡り、国境を越えるのである。
まず、タイ側で出国手続き。
タイ側まで、ラオスの日本大使館の小野寺麻希子さんが迎えに来てくれていた。
ラオスのトラックに荷物を積みかえる。
タイでの荷物を運んでくれた運転手のナットくんともここでお別れ。
それから、私たちを運んでくれたチンダーさんともお別れ。
(チンダーさんとは、またすぐバンコクで会える!)
そして今度は、ラオスへの入国手続きをすませ、一同、ラオスの日本大使館が用意してくださったバンに乗り込み、国境を越える。
メコン川にかかる橋の名前は「友好橋」。
タイ側と橋の上は左車線。
ラオスに入ると右車線になる。
ビエンチャンまでは、すぐだった。
とても静かな街。
ラオスの人口は北海道と同じくらい。(600万弱?)
土地の面積は本州と同じくらいだそうである。
お昼前にホテルに着く。
ホテルのすぐそばに、公演場所であるラオス国立文化会館が見える。
立派な建物である。
中国政府の援助で建てたのだそうだ。
今日は会場を見ることはできない。
お昼はホテルの近くのレストランで、ラオス料理を食べた。
竹の籠に入ったもちごめのご飯。赤米と白米、めでたく紅白二色食べた。
タムマークフン(?)という、パパイアを千切りにしたサラダやソーセージ。
いきなりラオス料理を満喫した。
午後の時間はラオスの言葉、ラオ語の勉強。
それから、岡原と私は明日行うワークショップの打ち合わせなど。
そして夜は大使公邸での夕食会があった。
問題は服装である。
一同、旅の服装と言えば、仕込みをしたり、体操をしたり、動きやすいカジュアルなものばかり。
それでも、とにかく持ってきている服の中で一番きれいなかっこうをしていこうと、アイロンをかけるやら、道中で買ったスカーフを巻き付けるやら、いろいろ
工夫したのであった。
メコン川沿いに建つ公邸の庭からの眺めはすばらしかった。
川の向こうはタイなのである。
メコン川の向こうに、真っ赤な太陽が沈んでいった。
お料理は、長旅の私たちを気づかってくださって、たいへんうれしい日本料理だった。
大使公邸での夕食会なんて、私たちはなかなか経験できることではないだろう。
桂大使といろいろお話できて、楽しかった。
今日もまた、未知の世界に一歩足を踏み入れた気がする。
お礼に歌を数曲歌って、大使公邸を後にしたのでした。
ピノッキオの現場から:萩京子
5月27日(日)
ウドンタニ公演。昼夜2回。タイ最後の公演である。
ウドンタニ・ラチャパット大学の講堂。
一昨日の公演場所は、ナコン・ラチャシーマーのラチャパット大学だった。ラチャパット大学、というのは、国立の、国王の大学・・・というような意味である、とお聞きした。
ここの大学構内はとても広い。その中のひとつの平屋の建物が講堂である。
8階でなくてよかった!
明日が入学式ということで、黄色と白の幕が舞台に張ってある。土日は、社会人のための大学となっているそうだ。
今日の会場は冷房がよくきいている。が、すさまじい音である。しかし、とても消そう、という気持ちににはなれない!
照明器材が少々あったので、照明づくりに2時間くらいかかる。(一昨日と昨日は、蛍光灯の明かりの中でやった。)
今日の公演は大学がサポートしてくれているので、、大学生が見るかと思ったら、そうではなくて、観客はまったく一般のおとなと子どもだった。ここの土地では、演劇公演もほとんどなく、外国から来た団体の公演など、初めてのことだそうだ。だから、演劇を見るのが初めてという人が、ほとんどだという。
観客は自然体で、リズムに乗ってくれたり、笑ってくれたり、タイ語のセリフに対しては、復唱してくれたり(!)、『ピノッキオ』という作品を大いに楽しんでもらえたと思う。
「日本から来たオペラ劇団」ということはもちろん承知したうえで、そういう枠組みより、いまここでおこなわれていることを、丸ごと受け入れて楽しんでくれている、と感じた。
私たちも、このタイ東北ツアーを通じて、海外公演という気負いがどんどんなくなっていった。全身で表現することによって、『ピノッキオ』というオペラを観客とともに楽しむことができるようになっていった。私たちも作品も、少しづつ成長しているように思う。
ナコン・ラチャシーマー→コーンケン→ウドンタニ、と3カ所行動を共にしたピアノ(ヤマハのC3)、調律師さん、ピアノ運搬の方たちとも、ここでお別れである。
ピアノと共に旅をするなんて、初めての経験だった。
目黒で修行したことのあるという調律師さんと、ピアノの前で記念撮影する。(私だけです!)ピアノくんも、毎日脚をはずされ、車に揺られ、ご苦労さまでした!
さて、道具、衣裳等のパッキングは、飛行機に乗るときのような、梱包の気の使い方はしなくてよいが、明日は国境を越えるので、5つのドンゴロスの袋に何が入っているか、リストに合わせてきちんと入れる。
パッキング終了後、舞台袖で、基金の内田さんが買ってきてくれたビールで乾杯!それから、大学側がセットしてくれた夕食会。その夕食会にはビールはない、という情報だったのだが、私たち一行がビールが大好き、というウワサが伝わっていて(!)、用意してくださったようだ。なんという幸せ!
タイでの公演は全部で5ステージ。
今日の夜の回が一番よかった、と内田さんが言ってくださった。タイ語もどんどん上手になってきた、とのことである。そのタイ語も今日でおしまい。
残るはラオス。
ラオ語ですよ!
ウドンタニ公演。昼夜2回。タイ最後の公演である。
ウドンタニ・ラチャパット大学の講堂。
一昨日の公演場所は、ナコン・ラチャシーマーのラチャパット大学だった。ラチャパット大学、というのは、国立の、国王の大学・・・というような意味である、とお聞きした。
ここの大学構内はとても広い。その中のひとつの平屋の建物が講堂である。
8階でなくてよかった!
明日が入学式ということで、黄色と白の幕が舞台に張ってある。土日は、社会人のための大学となっているそうだ。
今日の会場は冷房がよくきいている。が、すさまじい音である。しかし、とても消そう、という気持ちににはなれない!
照明器材が少々あったので、照明づくりに2時間くらいかかる。(一昨日と昨日は、蛍光灯の明かりの中でやった。)
今日の公演は大学がサポートしてくれているので、、大学生が見るかと思ったら、そうではなくて、観客はまったく一般のおとなと子どもだった。ここの土地では、演劇公演もほとんどなく、外国から来た団体の公演など、初めてのことだそうだ。だから、演劇を見るのが初めてという人が、ほとんどだという。
観客は自然体で、リズムに乗ってくれたり、笑ってくれたり、タイ語のセリフに対しては、復唱してくれたり(!)、『ピノッキオ』という作品を大いに楽しんでもらえたと思う。
「日本から来たオペラ劇団」ということはもちろん承知したうえで、そういう枠組みより、いまここでおこなわれていることを、丸ごと受け入れて楽しんでくれている、と感じた。
私たちも、このタイ東北ツアーを通じて、海外公演という気負いがどんどんなくなっていった。全身で表現することによって、『ピノッキオ』というオペラを観客とともに楽しむことができるようになっていった。私たちも作品も、少しづつ成長しているように思う。
ナコン・ラチャシーマー→コーンケン→ウドンタニ、と3カ所行動を共にしたピアノ(ヤマハのC3)、調律師さん、ピアノ運搬の方たちとも、ここでお別れである。
ピアノと共に旅をするなんて、初めての経験だった。
目黒で修行したことのあるという調律師さんと、ピアノの前で記念撮影する。(私だけです!)ピアノくんも、毎日脚をはずされ、車に揺られ、ご苦労さまでした!
さて、道具、衣裳等のパッキングは、飛行機に乗るときのような、梱包の気の使い方はしなくてよいが、明日は国境を越えるので、5つのドンゴロスの袋に何が入っているか、リストに合わせてきちんと入れる。
パッキング終了後、舞台袖で、基金の内田さんが買ってきてくれたビールで乾杯!それから、大学側がセットしてくれた夕食会。その夕食会にはビールはない、という情報だったのだが、私たち一行がビールが大好き、というウワサが伝わっていて(!)、用意してくださったようだ。なんという幸せ!
タイでの公演は全部で5ステージ。
今日の夜の回が一番よかった、と内田さんが言ってくださった。タイ語もどんどん上手になってきた、とのことである。そのタイ語も今日でおしまい。
残るはラオス。
ラオ語ですよ!
ピノッキオの現場より・タイ写真編 制作あき
タイでは4ヶ所5ステージ公演。
バンコク→コラート→コンケーン→ウドンタニと移動。

バンコク基金ホール本番。こんな天井の低い場所でも公演出来ました!
見えないのですが、最前列は桟敷席になっています。

ナコンラチャシマー(コラート)でのピアノ搬入。
ジャージの人たちは軍人さん(の卵)です。タイは徴兵制があるのです。

コンケンの県知事と、基金内田さんとドュアンチャイさん。
VIPの座る席はなぜか必ず革張りのソファーが上手か下手に用意されている。
舞台にたいして直角なので観にくいと思うのだが。。。

ウドンタニで明仕込み対決。さとちゃんの勝ち!久々に照明を仕込んだ気が
するな~。

ウドンタニラチャパット大学の方々と一緒に。
バンコク→コラート→コンケーン→ウドンタニと移動。

バンコク基金ホール本番。こんな天井の低い場所でも公演出来ました!
見えないのですが、最前列は桟敷席になっています。

ナコンラチャシマー(コラート)でのピアノ搬入。
ジャージの人たちは軍人さん(の卵)です。タイは徴兵制があるのです。

コンケンの県知事と、基金内田さんとドュアンチャイさん。
VIPの座る席はなぜか必ず革張りのソファーが上手か下手に用意されている。
舞台にたいして直角なので観にくいと思うのだが。。。

ウドンタニで明仕込み対決。さとちゃんの勝ち!久々に照明を仕込んだ気が
するな~。

ウドンタニラチャパット大学の方々と一緒に。
ピノッキオの現場から:萩京子
5月26日(金)
コーンケン公演。
朝8時45分、チェックアウト。ホテルの外(青空の下)で、絹製品を売っている。みんな、群がって物色。とても安い。
ジム・トンプソンは、この地で、絹物の商売を始めたのだという。
さて、本日の会場は、このツアーで唯一、図面もなにもなく、どういうホールかまるでわからない、謎の会場である。
どんなところだろう、と一同ドキドキしながら向かう。「ここです」と、言われたその場所は、まさに町の公民館。イスが200くらい、並べてある。窓から外の光が入り、客席は暗くならない。体育館で、暗幕を閉めないでやる、という状態。舞台にはヘリがあって、そこが30cmくらい高くなっている。つまり、舞台全体が浅いプールのようなのだ。
タイの舞台がなぜそなっているか、というと、足元を見せないためなのだそうだ。頭はとても神聖な部分。足元は不浄な部分。だから、足元はみせたくないのだ。
ヘリの幅が30cmくらいある。そこに乗ることはかまわないようなので、足元の演技で見せたいものは、そのヘリの上でやることにする。
それから、ダンス場面などでも、ピノッキオはヘリに立って踊ったり・・・。
さて、一番難儀なことは、クジラの場面である。舞台の奥行きは2間くらい。しかも舞台の前面は高くなっているので、大きな布の処理が難しいのである。さまざま、工夫をこらし(この、現場力がすばらしい!)、なんとかやれるようにする。
これで、この作品は、どんな場所でも公演できる、と自信を持って言えるようになった。
こんにゃく座は、行く先々、どのような場所も一日だけのオペラハウスに!、がモットーではあるが、どこでも、というわけには実はいかないのであって、広さ、高さ、設備等の必要条件がある。この『ピノッキオ』は、限りなく条件がゆるい、ということである。
今日の会場の名称は、「コーンケン・ソサエティ・シビル・コミュニティー・ホール」、コーンケン市民会館ということになる。
観客はいくつかの学校から集められた10~12才の子どもたちがほとんどで、大人も少し。開演前に、民族衣装を着た子どもたちが、踊りを踊ってくれた。
『ピノッキオ』本番中は、大変暑かったが、会場は大いに沸いた。
岡原演じる、太鼓つくりの親方が、ロバになったピノッキオのことを「いくらだ?」と聞くと、会場から「5バーツ!」という声。(15円くらい!)「いくらだ?」「もっとまけろ!」「よし、買った!」というセリフは、各国の言葉でやっている。
井村ピノッキオ、15円。安いね!
夕方は時間があいている。
公演をサポートしくださているパジョンキットさんの別荘のようなところにご招
待される。そこは、果樹園の中に庭園があって、瞑想できる空間がいたるところにある。大きな木に囲まれて、とても気持ちがいい。からだも楽になり、ホッとする。
歩きながら瞑想するための道があり、両脇には木がまっすぐに並んで植えてある。道は30mくらいはあるかもしれない。なにせ広い庭である。そこをまっすぐに歩いてみた。心が洗われるような、気がした。
そして夕食をごちそうになって、すっかりくつろぎ、19時すぎ、コーンケンを後にした。
ウドンタニへ向かう。バンコクから562km。
北へ北への旅である。
21時半ころ到着。ウドンタニは雨だった。
ベトナム戦争中は基地の街だったという。
明日はどんな公演になるだろうか?
コーンケン公演。
朝8時45分、チェックアウト。ホテルの外(青空の下)で、絹製品を売っている。みんな、群がって物色。とても安い。
ジム・トンプソンは、この地で、絹物の商売を始めたのだという。
さて、本日の会場は、このツアーで唯一、図面もなにもなく、どういうホールかまるでわからない、謎の会場である。
どんなところだろう、と一同ドキドキしながら向かう。「ここです」と、言われたその場所は、まさに町の公民館。イスが200くらい、並べてある。窓から外の光が入り、客席は暗くならない。体育館で、暗幕を閉めないでやる、という状態。舞台にはヘリがあって、そこが30cmくらい高くなっている。つまり、舞台全体が浅いプールのようなのだ。
タイの舞台がなぜそなっているか、というと、足元を見せないためなのだそうだ。頭はとても神聖な部分。足元は不浄な部分。だから、足元はみせたくないのだ。
ヘリの幅が30cmくらいある。そこに乗ることはかまわないようなので、足元の演技で見せたいものは、そのヘリの上でやることにする。
それから、ダンス場面などでも、ピノッキオはヘリに立って踊ったり・・・。
さて、一番難儀なことは、クジラの場面である。舞台の奥行きは2間くらい。しかも舞台の前面は高くなっているので、大きな布の処理が難しいのである。さまざま、工夫をこらし(この、現場力がすばらしい!)、なんとかやれるようにする。
これで、この作品は、どんな場所でも公演できる、と自信を持って言えるようになった。
こんにゃく座は、行く先々、どのような場所も一日だけのオペラハウスに!、がモットーではあるが、どこでも、というわけには実はいかないのであって、広さ、高さ、設備等の必要条件がある。この『ピノッキオ』は、限りなく条件がゆるい、ということである。
今日の会場の名称は、「コーンケン・ソサエティ・シビル・コミュニティー・ホール」、コーンケン市民会館ということになる。
観客はいくつかの学校から集められた10~12才の子どもたちがほとんどで、大人も少し。開演前に、民族衣装を着た子どもたちが、踊りを踊ってくれた。
『ピノッキオ』本番中は、大変暑かったが、会場は大いに沸いた。
岡原演じる、太鼓つくりの親方が、ロバになったピノッキオのことを「いくらだ?」と聞くと、会場から「5バーツ!」という声。(15円くらい!)「いくらだ?」「もっとまけろ!」「よし、買った!」というセリフは、各国の言葉でやっている。
井村ピノッキオ、15円。安いね!
夕方は時間があいている。
公演をサポートしくださているパジョンキットさんの別荘のようなところにご招
待される。そこは、果樹園の中に庭園があって、瞑想できる空間がいたるところにある。大きな木に囲まれて、とても気持ちがいい。からだも楽になり、ホッとする。
歩きながら瞑想するための道があり、両脇には木がまっすぐに並んで植えてある。道は30mくらいはあるかもしれない。なにせ広い庭である。そこをまっすぐに歩いてみた。心が洗われるような、気がした。
そして夕食をごちそうになって、すっかりくつろぎ、19時すぎ、コーンケンを後にした。
ウドンタニへ向かう。バンコクから562km。
北へ北への旅である。
21時半ころ到着。ウドンタニは雨だった。
ベトナム戦争中は基地の街だったという。
明日はどんな公演になるだろうか?
ピノッキオの現場から:萩京子
5月25日(金)
公演場所は、ラチャパット大学の講堂。ピアノの搬入が午前9時。
パリタさんのご主人が、若い兵士を連れてきてくれていて、ピアノと道具の搬入を手伝ってくれる。ピアノはヤマハのC3だった。エレベーターの奥行きがないので、入れたり出したり・・・、縦にしてやっと入る。
よかった!と思っていると、3階まで上がったところで、降りてきてしまった。
重すぎるのか?
ピアノをささえている人がふたり乗っているだけだが、その人たちは降りるわけにもいかない。もう一度チャレンジしてみたら、めでたく8階まで上がってくれた。めでたし!
控え室というものがないので、客席で24日の分の日記を書き込む。昨夜のホテルはインターネット環境が整っていなかった。いつ送信できるかな?
客席はまあまあエアコンがきいているが、衣裳などの準備は舞台の袖でする。そこはとても暑い!飲み物はすぐにホットになってしまう。
客席は300席。今日の観客は10~20才の学生。東北地方の方言を少しまぜて上演した。雰囲気は日本の学校公演と同じだった。日本語を勉強している学生が多くいた。冒頭から、細かな動きや演技をよく理解してくれて、大いに受けてくれた。よく笑ってくれた。途中から少し静かだな、と思っていたら、どうも先生に静かにするよう注意されたようだ。そんなことも、日本の学校公演と同じだった。
昨日宿泊した、同じ大学内のホテルで夕食をとってから、コーンケーンに向けて出発。
学校公演を終えて、バラシを終えて、次の公演地に向かう移動の車中。「いつもとおんなじ!」と、皆、車中で元気がいい。井村クンや佐藤ちゃんは、運転がない分、楽だね!いただいた地元のお菓子など食べながら、おおはしゃぎであった。
コーンケーンのホテルに着くと、明日の公演のサポートをしてくださっているパ
ジョンキットたちが出迎えてくれた。基金の内田さんも、バンコクから飛行機で到着していて、ここからラオスまで行動を共にする。
パジョンキットさんは、「ビジネス アンド プロフェッショナル ウィメンズ アソシエイション オブ タイランド」という働く女性の商工会議所(?)みたいな団体の代表で、基金のスタッフのドアンチャイさんと高校時代からの友だちだそうだ。
短い時間ではあったが、ビールやジュースを飲みながら交流。
明日の観客であるコーンケーンのこどもたち(10~12才)は、舞台を見ていてあまり全身で感情を表さないかもしれないが、どう感じているかは、目を見ればわかる、とのこと。日本でも、九州や関西と東北では、観客の反応が違うように、タイでも、東北地方の人たちはシャイなのだろう。
今日一日、とても暑かった。
今日のホテルはバスタブつき!汗を流して、おやすみなさい・・・。
公演場所は、ラチャパット大学の講堂。ピアノの搬入が午前9時。
パリタさんのご主人が、若い兵士を連れてきてくれていて、ピアノと道具の搬入を手伝ってくれる。ピアノはヤマハのC3だった。エレベーターの奥行きがないので、入れたり出したり・・・、縦にしてやっと入る。
よかった!と思っていると、3階まで上がったところで、降りてきてしまった。
重すぎるのか?
ピアノをささえている人がふたり乗っているだけだが、その人たちは降りるわけにもいかない。もう一度チャレンジしてみたら、めでたく8階まで上がってくれた。めでたし!
控え室というものがないので、客席で24日の分の日記を書き込む。昨夜のホテルはインターネット環境が整っていなかった。いつ送信できるかな?
客席はまあまあエアコンがきいているが、衣裳などの準備は舞台の袖でする。そこはとても暑い!飲み物はすぐにホットになってしまう。
客席は300席。今日の観客は10~20才の学生。東北地方の方言を少しまぜて上演した。雰囲気は日本の学校公演と同じだった。日本語を勉強している学生が多くいた。冒頭から、細かな動きや演技をよく理解してくれて、大いに受けてくれた。よく笑ってくれた。途中から少し静かだな、と思っていたら、どうも先生に静かにするよう注意されたようだ。そんなことも、日本の学校公演と同じだった。
昨日宿泊した、同じ大学内のホテルで夕食をとってから、コーンケーンに向けて出発。
学校公演を終えて、バラシを終えて、次の公演地に向かう移動の車中。「いつもとおんなじ!」と、皆、車中で元気がいい。井村クンや佐藤ちゃんは、運転がない分、楽だね!いただいた地元のお菓子など食べながら、おおはしゃぎであった。
コーンケーンのホテルに着くと、明日の公演のサポートをしてくださっているパ
ジョンキットたちが出迎えてくれた。基金の内田さんも、バンコクから飛行機で到着していて、ここからラオスまで行動を共にする。
パジョンキットさんは、「ビジネス アンド プロフェッショナル ウィメンズ アソシエイション オブ タイランド」という働く女性の商工会議所(?)みたいな団体の代表で、基金のスタッフのドアンチャイさんと高校時代からの友だちだそうだ。
短い時間ではあったが、ビールやジュースを飲みながら交流。
明日の観客であるコーンケーンのこどもたち(10~12才)は、舞台を見ていてあまり全身で感情を表さないかもしれないが、どう感じているかは、目を見ればわかる、とのこと。日本でも、九州や関西と東北では、観客の反応が違うように、タイでも、東北地方の人たちはシャイなのだろう。
今日一日、とても暑かった。
今日のホテルはバスタブつき!汗を流して、おやすみなさい・・・。
ピノッキオの現場から・タイ東北編 萩京子
5月24日(木)
いよいよタイ東北ツアーが始まる。
今朝、基金の内田さんからうかがったことだが、タイ東北地方から多くの人がバンコクに働きに出ているということだ。レストランで働く人、タクシーの運転手、マッサージをする人など、すでにたくさんの東北地方出身の人と出会っているはずだ、という。
10時ロビー集合。おなじみのチンダーさん(基金の運転手さん)運転のバンに、こんにゃく座一行7名と、基金のドアンチャイさん、ラワンさん、計10名が乗る。
荷物車に5つのドンゴロスと、トランクふたつ、そして個人のリュック等が積まれる。別に、調律師さんも乗せたピアノ運搬車が、これからの東北地方3カ所での公演に同行する。ナコン・ラリャシーマー→コーンケン→ウドンタニというコースで北上し、国境を越え、ラオスへ入る。今日は、ナコン・ラリャシーマーへ向かう。コラートとも呼ばれるイサーン地方。タイの道路は整備されていて、1号線から2号線へ、快適なドライブだった。車で移動する旅は、こんにゃく座の原点だ。車に弱いさとみは、酔い止めを飲んで、おとなしく眠っている。
お昼は湖のほとりにある「海の家」みたいなレストラン。えびとお魚とトムヤムクン!風が気持ちよく吹いて、暑さを感じさせない。白い牛が草を食み、ニワトリが走り回っている。ひととき、バカンス気分を味わう。目的地のラチャパット大学に、私たちは順調に着いたが、荷物車は遅れている。公演は明日。会場はラチャパット大学の講堂である。大学内にホテルがあり、そこに宿泊する。今はまだ夏休み(!)なので、大学内は静かである。6月から新学期が始まるそうだ。講堂の使用可能時間に限りがあって、荷物が遅れているので、今日は荷下ろしはできない。だが、とにかく講堂を見に行く。8階!エレベーターはあるのだが、とても小さい。ピアノを載せられない可能性がある。8階まで階段で上げるのは、大変だあ! このナコン・ラチャシーマーの公演をサポートしてくれているのが、日本語学校の代表のパリタさん。彼女のご主人が軍人で、ピアノ運びに若い衆を20人ほど、よこしてくれるという。頼もしいことである。
夕方の16時から18時までフリータイム。お散歩する人、お昼寝する人など。 夜はパリタさんご夫妻、お子さんおふたり、それから日本語学校の先生おふたりとご一緒にお食事。日本語学校の先生のひとりは日本人、大阪出身のダイスケさん。大阪出身の岡原と大阪弁で盛り上がる。
ホテルに戻り、岡原の部屋で、運転手のチンダーさんの三弦のギターのような楽器(確か、ピンという楽器だとうかがったような・・・)と、笙のような笛を演奏を聴く。チンダーさんの笛に合わせて、三弦を借りて適当にかき鳴らし、にわかのセッション。ドアンチャイさんの歌も聴けたし、踊り出したくなるようなフレーズもあり、とても楽しかった。
ここのホテルのシャワーは、とても恐ろしかった。各部屋のシャワー室に、小さなガス湯沸かし器のようなものがあり、そこからシャワーが直結している。どこをどうしたら、お湯が出るのか?皆、苦労していたのだが、勇気のある岡原がいち早くやり方を発見。どう見てもガスの元栓のように見える栓をひねるとお湯がいきなり噴き出すのである。いろいろなことを学ぶ日々である。
いよいよタイ東北ツアーが始まる。
今朝、基金の内田さんからうかがったことだが、タイ東北地方から多くの人がバンコクに働きに出ているということだ。レストランで働く人、タクシーの運転手、マッサージをする人など、すでにたくさんの東北地方出身の人と出会っているはずだ、という。
10時ロビー集合。おなじみのチンダーさん(基金の運転手さん)運転のバンに、こんにゃく座一行7名と、基金のドアンチャイさん、ラワンさん、計10名が乗る。
荷物車に5つのドンゴロスと、トランクふたつ、そして個人のリュック等が積まれる。別に、調律師さんも乗せたピアノ運搬車が、これからの東北地方3カ所での公演に同行する。ナコン・ラリャシーマー→コーンケン→ウドンタニというコースで北上し、国境を越え、ラオスへ入る。今日は、ナコン・ラリャシーマーへ向かう。コラートとも呼ばれるイサーン地方。タイの道路は整備されていて、1号線から2号線へ、快適なドライブだった。車で移動する旅は、こんにゃく座の原点だ。車に弱いさとみは、酔い止めを飲んで、おとなしく眠っている。
お昼は湖のほとりにある「海の家」みたいなレストラン。えびとお魚とトムヤムクン!風が気持ちよく吹いて、暑さを感じさせない。白い牛が草を食み、ニワトリが走り回っている。ひととき、バカンス気分を味わう。目的地のラチャパット大学に、私たちは順調に着いたが、荷物車は遅れている。公演は明日。会場はラチャパット大学の講堂である。大学内にホテルがあり、そこに宿泊する。今はまだ夏休み(!)なので、大学内は静かである。6月から新学期が始まるそうだ。講堂の使用可能時間に限りがあって、荷物が遅れているので、今日は荷下ろしはできない。だが、とにかく講堂を見に行く。8階!エレベーターはあるのだが、とても小さい。ピアノを載せられない可能性がある。8階まで階段で上げるのは、大変だあ! このナコン・ラチャシーマーの公演をサポートしてくれているのが、日本語学校の代表のパリタさん。彼女のご主人が軍人で、ピアノ運びに若い衆を20人ほど、よこしてくれるという。頼もしいことである。
夕方の16時から18時までフリータイム。お散歩する人、お昼寝する人など。 夜はパリタさんご夫妻、お子さんおふたり、それから日本語学校の先生おふたりとご一緒にお食事。日本語学校の先生のひとりは日本人、大阪出身のダイスケさん。大阪出身の岡原と大阪弁で盛り上がる。
ホテルに戻り、岡原の部屋で、運転手のチンダーさんの三弦のギターのような楽器(確か、ピンという楽器だとうかがったような・・・)と、笙のような笛を演奏を聴く。チンダーさんの笛に合わせて、三弦を借りて適当にかき鳴らし、にわかのセッション。ドアンチャイさんの歌も聴けたし、踊り出したくなるようなフレーズもあり、とても楽しかった。
ここのホテルのシャワーは、とても恐ろしかった。各部屋のシャワー室に、小さなガス湯沸かし器のようなものがあり、そこからシャワーが直結している。どこをどうしたら、お湯が出るのか?皆、苦労していたのだが、勇気のある岡原がいち早くやり方を発見。どう見てもガスの元栓のように見える栓をひねるとお湯がいきなり噴き出すのである。いろいろなことを学ぶ日々である。
ピノッキオの現場から・タイ編 萩京子
5月22日(火)
ハノイからバンコクへの移動日。
朝食、フォーの食べおさめ。
旧市街の街並みも見納め。
車で空港へ。
お世話になった基金の榛澤さんと、お名残惜しくもお別れし、一同7人はバンコクへ。
これまで二回公演し、それ以外にも、事前の調査・宣伝ツアーなどもしたので、
何回も来たことのあるバンコクに降り立ったときは、なつかしいおなじみの場所へ来た、
という気持ちがした。
ほっとした感じ。
今回のツアーの仕掛け人ともいうべき、国際交流基金の内田裕さんが空港に迎えに来てくれていた。
これまでの2回の公演でお世話になったドアンチャイさんも。
車で、基金の事務所に隣接した今回の公演場所であるホールへ向かう。
運転手のチンダーさんも、すっかり顔なじみ。
実はこのチンダーさんは、林光さんに似ているのです!
さて会場は、今回のツアーの中で一番小さい。
お客さんの数は正確には読めないが、キャパいっぱいの200名くらいは来ると思うと言われる。
問い合わせも多いそうだ。
うれしい情報であるが、平戸間の空間なので、演技エリアをどれだけとって、
客席数をどう確保するか、という点が少々難しい。
前1列座席をとって、ゴザ(このゴザは、6年前も『ロボット』公演のために
買ってもらっていたものだ)を敷いて、桟敷席を作ることにした。
荷下ろしだけのつもりが、かなり準備を進めることができた。
会場から徒歩3分くらいのところにあるホテルにチェックイン。
それぞれ、自由な時間を過ごす。
昼寝をする人。
プールに行く人。
その他いろいろ・・・。
私は、ハノイの20日、21日分の座日記を書き込み、送信。
夜は、基金主催でウエルカムパーティーをしていただいた。
さっそく、タイ語のレッスンが始まった。
ベトナム語を終えて、タイ語が簡単に感じられる、などと言っていたのだが、
やっぱりたくさん直されました!
パーティーの後、萩、岡原、山崎はタクシーでマッサージに出かけました。
マッサージは数多くあれど、安くで上手な「ワット・ポー」という店。
有名なお寺の「ワット・ポー」の支店のようなものか。
1時間で全身ゆるんで、ホテルに戻ってこてんと寝ました。
5月23日(水)
午前10時に会場に入り、舞台監督の久寿田さんは照明つくり。
役者は語学。
私は、ジャカルタの新聞に批評が出たので、辞書を片手に読む。
ゲネプロ(フルドレス・リハーサルと書いてあった)を見ての記事だったが、
丁寧に書いてくれていた。
最後のメッセージが観客に届く、と書いてあったので、うれしい。
午後13時から、場所を決めながらはじめから終わりまでやる。
会場は劇場ではなく、大きい会議室のようなもの。
映画の上映会のなどがよく行われている。
私たちは6年前の『ロボット』公演のとき、レクチャーコンサートをしたので、
様子はわかっていた。
ホテルの宴会場などによくある高さ20センチくらいの舞台があり、
その奥行きが狭いので、その舞台だけでは演技できず、平戸間の部分と併せて
演技の位置を工夫しなくてはならない。
最後のクジラのシーンのところまで、細かくやって、17時。
19時開演。
大入りで、桟敷には大人も子供もぎっしりである。
舞台が客席と近いということもあり、観客との関係がとてもホットな公演となった。
おもちゃの国のシーンでは、シャボン玉にひきつけられたのか、こどもが舞台に出てきた。
客席はもう大受けである。
その子の親も、引き戻しに来ないし、私たちもそのまんま。
まさしく、おもちゃの国にピノッキオが引き寄せられたようなものだ。
しばらく楽しんで、自分の席に戻っていった。
そんな楽しいこともあり、公演は大好評。
ロビーではたくさんの人に声をかけられた。
『ロボット』も『ゴーシュ』も見ましたよ、と言ってくれた人もいた。
ここバンコクでも、こんにゃく座が根付いてきている、ということを感じる。
仕掛け人の内田さんも、「よかった」と言ってくださった。
よくぞ、新作を受け入れてくださった、と心から感謝。
今日もまた、とてもうれしい日となった。
ハノイからバンコクへの移動日。
朝食、フォーの食べおさめ。
旧市街の街並みも見納め。
車で空港へ。
お世話になった基金の榛澤さんと、お名残惜しくもお別れし、一同7人はバンコクへ。
これまで二回公演し、それ以外にも、事前の調査・宣伝ツアーなどもしたので、
何回も来たことのあるバンコクに降り立ったときは、なつかしいおなじみの場所へ来た、
という気持ちがした。
ほっとした感じ。
今回のツアーの仕掛け人ともいうべき、国際交流基金の内田裕さんが空港に迎えに来てくれていた。
これまでの2回の公演でお世話になったドアンチャイさんも。
車で、基金の事務所に隣接した今回の公演場所であるホールへ向かう。
運転手のチンダーさんも、すっかり顔なじみ。
実はこのチンダーさんは、林光さんに似ているのです!
さて会場は、今回のツアーの中で一番小さい。
お客さんの数は正確には読めないが、キャパいっぱいの200名くらいは来ると思うと言われる。
問い合わせも多いそうだ。
うれしい情報であるが、平戸間の空間なので、演技エリアをどれだけとって、
客席数をどう確保するか、という点が少々難しい。
前1列座席をとって、ゴザ(このゴザは、6年前も『ロボット』公演のために
買ってもらっていたものだ)を敷いて、桟敷席を作ることにした。
荷下ろしだけのつもりが、かなり準備を進めることができた。
会場から徒歩3分くらいのところにあるホテルにチェックイン。
それぞれ、自由な時間を過ごす。
昼寝をする人。
プールに行く人。
その他いろいろ・・・。
私は、ハノイの20日、21日分の座日記を書き込み、送信。
夜は、基金主催でウエルカムパーティーをしていただいた。
さっそく、タイ語のレッスンが始まった。
ベトナム語を終えて、タイ語が簡単に感じられる、などと言っていたのだが、
やっぱりたくさん直されました!
パーティーの後、萩、岡原、山崎はタクシーでマッサージに出かけました。
マッサージは数多くあれど、安くで上手な「ワット・ポー」という店。
有名なお寺の「ワット・ポー」の支店のようなものか。
1時間で全身ゆるんで、ホテルに戻ってこてんと寝ました。
5月23日(水)
午前10時に会場に入り、舞台監督の久寿田さんは照明つくり。
役者は語学。
私は、ジャカルタの新聞に批評が出たので、辞書を片手に読む。
ゲネプロ(フルドレス・リハーサルと書いてあった)を見ての記事だったが、
丁寧に書いてくれていた。
最後のメッセージが観客に届く、と書いてあったので、うれしい。
午後13時から、場所を決めながらはじめから終わりまでやる。
会場は劇場ではなく、大きい会議室のようなもの。
映画の上映会のなどがよく行われている。
私たちは6年前の『ロボット』公演のとき、レクチャーコンサートをしたので、
様子はわかっていた。
ホテルの宴会場などによくある高さ20センチくらいの舞台があり、
その奥行きが狭いので、その舞台だけでは演技できず、平戸間の部分と併せて
演技の位置を工夫しなくてはならない。
最後のクジラのシーンのところまで、細かくやって、17時。
19時開演。
大入りで、桟敷には大人も子供もぎっしりである。
舞台が客席と近いということもあり、観客との関係がとてもホットな公演となった。
おもちゃの国のシーンでは、シャボン玉にひきつけられたのか、こどもが舞台に出てきた。
客席はもう大受けである。
その子の親も、引き戻しに来ないし、私たちもそのまんま。
まさしく、おもちゃの国にピノッキオが引き寄せられたようなものだ。
しばらく楽しんで、自分の席に戻っていった。
そんな楽しいこともあり、公演は大好評。
ロビーではたくさんの人に声をかけられた。
『ロボット』も『ゴーシュ』も見ましたよ、と言ってくれた人もいた。
ここバンコクでも、こんにゃく座が根付いてきている、ということを感じる。
仕掛け人の内田さんも、「よかった」と言ってくださった。
よくぞ、新作を受け入れてくださった、と心から感謝。
今日もまた、とてもうれしい日となった。
ピノッキオの現場より・ジャカルタとハノイ写真編 制作あき
ピノッキオの現場より・ベトナム編 萩京子
5月20日(日)
晴れました!
ホテルを出る前に、5月18日と19日の分の座日記を書いて送信する。
ベトナムでは、「ピノッキオ」はロシア経由で入って来て、名前が「ブラッティノ」として広まっている。
だから、「ピ・ノ・キ・オ!」の歌を「ブ・ラ・ティ・ノ!」と歌ったほうがいいか?などと言っていたのだが、その必要はなさそうだ。このオペラ『ピノッキオ』は、あの「ブラッティノ」の物語だ、ということが、
ちゃんと伝わっているようだ。
10時にホテルを出て、ハノイ・オペラハウスへ。
ピアノが動かされた形跡あり。
位置が変わってしまっている。
オペラハウスのスタッフはおらず、薄暗いなか、ウォーミングアップやら指ならしなどする。
実は今回はオペラハウスのスタッフはいっさい関わっておらず、ベトナム・オペラバレエ・シアター
というところの関係で、照明機材を借りたり、スタッフの協力を得たりしている。
昨日は「夜9時からのテレビが見たい!」などとおっしゃる。
そして、今日もなかなか現れない。
11時半から舞台のセッティングをしたいのだが、その段階でも来ていないので、
連絡をとってもらったら、今向かっているという。
まったく!そば屋の出前?
さて、本番直前まで、通訳のマイさんとフンさんにセリフのチェックをしてもらい、
14時からいよいよベトナム公演一回め。
開演10分前、5分前、1分前に鐘の音が鳴る。
オペラ『ピノッキオ』。ベトナムでの反応は?
ベトナム語は伝わるのか?
子供たちのざわめきと反応は、日本で公演しているような感じである。
マレーシアやインドネシアのようには、どっと来ないのは、ことばが伝わらないからか・・・。
どのように受け入れてもらえたのか、と、少し心配だったのだが、終わったとたん、
ものすごい拍手と歓声。
ベトナムでは終演後、人々はすごく早く帰ってしまうそうなのだが、拍手も長かったし、私たちがロビーに送り出しに出て行くと、握手とサインと写真のリクエスト責めにあった。
ベトナムでは、狂言の公演があっただけで、日本の演劇は公演していないということだから、
私たちはフロンティアになることができた。
夜公演は20時開演だから時間があいている。
街に繰り出すと興奮してしまい、エネルギーを消耗してしまうので、かなり自粛する。
ベトナム語のチェックがさらに続く。
そして、記念写真を撮ってから、ご飯を食べに出かける。
フォー24という店へ。
鶏肉入りとか、牛肉入りとか、具を選べるのだが、全員「全部入り」というのを注文した。
ガツ(胃)なんかも入っている。
たいへんおいしくて、終演後また来たいね、などと騒ぎながら、劇場に戻る。
夜の公演は10分遅れて20時10分開演。
始まったとたん、昼とは全然違う反応。
「いいこにしていれば、きっといつか人間の子どもになれる」という歌詞を、間奏曲(?)にのせて、
通訳役のさとみがベトナム語で言うと、拍手が沸き起こった。
ピアノを弾きながら、顔がにっこりしてしまう。
さとみもうれしかったに違いない。
さとみだけでなく、他のメンバーもみんな。
それから、舞台にどんどん活気が出て、客席の反応もあたたかくノリも良く、ベトナム語のセリフも、
大いに受けた。
笑いもたくさん。
芝居のリズムもよくなってきている。
このハノイ公演がアジアツアーの折り返し地点だ。
終わってからの拍手と声援は、とてもうれしかった。
大使館のスタッフの皆さんはリハーサルからずっと見ていてくださって、ベトナム語がどんどん上手になっていって、よく伝わるようになった、と言ってくださった。
そして「とてもすばらしい公演でした」と言っていただき、ほんとうにうれしい。
役者4人は、ベトナム語、よくがんばりました!
バラシ中の恒例の衣裳の洗濯は、今回特別参加の彦ちゃんこと、座員の彦坂仁美宿泊の、
ホテル・ヒルトン・オペラハウス(オペラハウスのすぐとなり)の彦ちゃんのお部屋で行われた!
ヒルトンさまさま!いえいえ、彦ちゃんさまさまです!
まず楽屋で乾杯!
ホテルに戻ったのは23時半ころか。
基金の榛澤さん、大使館の古館さん、藤田さんも参加して、101号室にて飲み会。
あまりに興奮して皆大きな声でしゃべり笑ったりしたので、
「静かにしてください」と、ホテルから注意を受けた。
日本国内のツアーでは時々やらかしているのだが、大使館の方々とご一緒の時だけに、
おかしかった。
その後は、ひっそりと静かに楽しく飲んだ。
5月21日(月)
公演もなく、移動もなく、リハーサルもない一日。
自由行動は15時まで。
ホテルは旧市街のど真ん中にある。
ホテルを一歩出ると、道ばたでくだものや野菜や肉までも売っている。
道ばたで、人々がお茶を飲んでくつろいでいたり、しゃべっていたり、食事風景もよく見かける。
おいしそうなのだ、これが!
天秤棒を担いだ人が、物を売っている。
細かな通りが入り組んでいて、通りに名前はついているのだが、迷子になりそうだ。
ホテルの前はハンヴァイ通り。漢方薬の店が並んでいる。
草の根、木の皮の匂いに満ちている。
少し行って曲がるとおもちゃ屋通り。
さとみと一緒に、ドンスアン市場まで歩いて行く。
市場には、衣類、靴、布類などの店がぎっしりひしめきあっている。
市場で働いている人たちの様子を見ているだけで楽しい。
お昼どきなので、ご飯を食べている人が多い。
商品の上で、平気で食べている。
食堂もあった。(平民食堂と呼ばれているそうだ。)
お皿にご飯を盛って、その上に好きなものをのせていく。
お総菜の種類は50種類以上だ。
旧市街を歩き回り、市場に行ったということだけで、充分充実した自由時間だった。
お昼はみんな(7人+彦坂)一緒に出かけた。
2カ所に分かれて食事。
私は、チャー・カー・ラ・ボンという雷魚料理の老舗へ入った。
フライにした雷魚をさらに油の中に香草と一緒に放り込んで、米の麺にかけて食べる。つけめん方式。
おいしかった!
役者4人は、お腹にやさしそうな、バケット&ショコラという店に。
役者諸氏は摂生しています!
その後、水上人形劇を見に行った。
水をはった四角いプール状の舞台。
下手に楽団席。
全体のストーリーはなく、17の場面。
人形を操る人たちは、下半身水に浸かっての重労働だ。
しかも一日4回公演。
終演後、すぐ次の準備をしている姿にシンパシーを感じる私たちだった。
さて、その後、ベトナム・オペラ&バレエ・シアターを訪問する。
ロシアバレエの伝統を受け継いだ50年近い歴史のある団。もちろん国立。
(国立でないカンパニーなどなく、そもそも集団は結成できないのだということだ。)
練習風景も見せてもらった。
さて、その次。
ベトナム・ミュージック・ダンス&ソング訪問。
こちらは、ベトナムの伝統的は音楽と踊りを世界に紹介していく、という目的をもった団体だという。
私たちのために、演奏と踊りを披露してくださった。
そして日も暮れ、いよいよ打ち上げ。
ベトナム料理。
めずらしい食べものとしてはタニシがあった。
最後に汁かけご飯。
大使館の方たちが言うには「ねこまんま」
これもたいへんおいしかった。
宴の途中で、彦ちゃんの出発の時間となる。
彼女は夜の便で日本へ帰る。
彦ちゃん、こんにゃく座観劇ベトナムツアー、楽しめましたか?
たくさん手伝ってくれて、ありがとう!
ホテルに戻った私たちは、榛澤さんと、大使館の下西さんも交えて、昨日と同じく101号室で、
またまた飲み会。
下西さんは世界70カ国を旅したという、とてもおもしろい方。
私たちも旅をして、たくさんの人と出会う。
「この世界には、いろんな人がいる」
ピノッキオ最後のことばは、私たち自身のことばだ。
晴れました!
ホテルを出る前に、5月18日と19日の分の座日記を書いて送信する。
ベトナムでは、「ピノッキオ」はロシア経由で入って来て、名前が「ブラッティノ」として広まっている。
だから、「ピ・ノ・キ・オ!」の歌を「ブ・ラ・ティ・ノ!」と歌ったほうがいいか?などと言っていたのだが、その必要はなさそうだ。このオペラ『ピノッキオ』は、あの「ブラッティノ」の物語だ、ということが、
ちゃんと伝わっているようだ。
10時にホテルを出て、ハノイ・オペラハウスへ。
ピアノが動かされた形跡あり。
位置が変わってしまっている。
オペラハウスのスタッフはおらず、薄暗いなか、ウォーミングアップやら指ならしなどする。
実は今回はオペラハウスのスタッフはいっさい関わっておらず、ベトナム・オペラバレエ・シアター
というところの関係で、照明機材を借りたり、スタッフの協力を得たりしている。
昨日は「夜9時からのテレビが見たい!」などとおっしゃる。
そして、今日もなかなか現れない。
11時半から舞台のセッティングをしたいのだが、その段階でも来ていないので、
連絡をとってもらったら、今向かっているという。
まったく!そば屋の出前?
さて、本番直前まで、通訳のマイさんとフンさんにセリフのチェックをしてもらい、
14時からいよいよベトナム公演一回め。
開演10分前、5分前、1分前に鐘の音が鳴る。
オペラ『ピノッキオ』。ベトナムでの反応は?
ベトナム語は伝わるのか?
子供たちのざわめきと反応は、日本で公演しているような感じである。
マレーシアやインドネシアのようには、どっと来ないのは、ことばが伝わらないからか・・・。
どのように受け入れてもらえたのか、と、少し心配だったのだが、終わったとたん、
ものすごい拍手と歓声。
ベトナムでは終演後、人々はすごく早く帰ってしまうそうなのだが、拍手も長かったし、私たちがロビーに送り出しに出て行くと、握手とサインと写真のリクエスト責めにあった。
ベトナムでは、狂言の公演があっただけで、日本の演劇は公演していないということだから、
私たちはフロンティアになることができた。
夜公演は20時開演だから時間があいている。
街に繰り出すと興奮してしまい、エネルギーを消耗してしまうので、かなり自粛する。
ベトナム語のチェックがさらに続く。
そして、記念写真を撮ってから、ご飯を食べに出かける。
フォー24という店へ。
鶏肉入りとか、牛肉入りとか、具を選べるのだが、全員「全部入り」というのを注文した。
ガツ(胃)なんかも入っている。
たいへんおいしくて、終演後また来たいね、などと騒ぎながら、劇場に戻る。
夜の公演は10分遅れて20時10分開演。
始まったとたん、昼とは全然違う反応。
「いいこにしていれば、きっといつか人間の子どもになれる」という歌詞を、間奏曲(?)にのせて、
通訳役のさとみがベトナム語で言うと、拍手が沸き起こった。
ピアノを弾きながら、顔がにっこりしてしまう。
さとみもうれしかったに違いない。
さとみだけでなく、他のメンバーもみんな。
それから、舞台にどんどん活気が出て、客席の反応もあたたかくノリも良く、ベトナム語のセリフも、
大いに受けた。
笑いもたくさん。
芝居のリズムもよくなってきている。
このハノイ公演がアジアツアーの折り返し地点だ。
終わってからの拍手と声援は、とてもうれしかった。
大使館のスタッフの皆さんはリハーサルからずっと見ていてくださって、ベトナム語がどんどん上手になっていって、よく伝わるようになった、と言ってくださった。
そして「とてもすばらしい公演でした」と言っていただき、ほんとうにうれしい。
役者4人は、ベトナム語、よくがんばりました!
バラシ中の恒例の衣裳の洗濯は、今回特別参加の彦ちゃんこと、座員の彦坂仁美宿泊の、
ホテル・ヒルトン・オペラハウス(オペラハウスのすぐとなり)の彦ちゃんのお部屋で行われた!
ヒルトンさまさま!いえいえ、彦ちゃんさまさまです!
まず楽屋で乾杯!
ホテルに戻ったのは23時半ころか。
基金の榛澤さん、大使館の古館さん、藤田さんも参加して、101号室にて飲み会。
あまりに興奮して皆大きな声でしゃべり笑ったりしたので、
「静かにしてください」と、ホテルから注意を受けた。
日本国内のツアーでは時々やらかしているのだが、大使館の方々とご一緒の時だけに、
おかしかった。
その後は、ひっそりと静かに楽しく飲んだ。
5月21日(月)
公演もなく、移動もなく、リハーサルもない一日。
自由行動は15時まで。
ホテルは旧市街のど真ん中にある。
ホテルを一歩出ると、道ばたでくだものや野菜や肉までも売っている。
道ばたで、人々がお茶を飲んでくつろいでいたり、しゃべっていたり、食事風景もよく見かける。
おいしそうなのだ、これが!
天秤棒を担いだ人が、物を売っている。
細かな通りが入り組んでいて、通りに名前はついているのだが、迷子になりそうだ。
ホテルの前はハンヴァイ通り。漢方薬の店が並んでいる。
草の根、木の皮の匂いに満ちている。
少し行って曲がるとおもちゃ屋通り。
さとみと一緒に、ドンスアン市場まで歩いて行く。
市場には、衣類、靴、布類などの店がぎっしりひしめきあっている。
市場で働いている人たちの様子を見ているだけで楽しい。
お昼どきなので、ご飯を食べている人が多い。
商品の上で、平気で食べている。
食堂もあった。(平民食堂と呼ばれているそうだ。)
お皿にご飯を盛って、その上に好きなものをのせていく。
お総菜の種類は50種類以上だ。
旧市街を歩き回り、市場に行ったということだけで、充分充実した自由時間だった。
お昼はみんな(7人+彦坂)一緒に出かけた。
2カ所に分かれて食事。
私は、チャー・カー・ラ・ボンという雷魚料理の老舗へ入った。
フライにした雷魚をさらに油の中に香草と一緒に放り込んで、米の麺にかけて食べる。つけめん方式。
おいしかった!
役者4人は、お腹にやさしそうな、バケット&ショコラという店に。
役者諸氏は摂生しています!
その後、水上人形劇を見に行った。
水をはった四角いプール状の舞台。
下手に楽団席。
全体のストーリーはなく、17の場面。
人形を操る人たちは、下半身水に浸かっての重労働だ。
しかも一日4回公演。
終演後、すぐ次の準備をしている姿にシンパシーを感じる私たちだった。
さて、その後、ベトナム・オペラ&バレエ・シアターを訪問する。
ロシアバレエの伝統を受け継いだ50年近い歴史のある団。もちろん国立。
(国立でないカンパニーなどなく、そもそも集団は結成できないのだということだ。)
練習風景も見せてもらった。
さて、その次。
ベトナム・ミュージック・ダンス&ソング訪問。
こちらは、ベトナムの伝統的は音楽と踊りを世界に紹介していく、という目的をもった団体だという。
私たちのために、演奏と踊りを披露してくださった。
そして日も暮れ、いよいよ打ち上げ。
ベトナム料理。
めずらしい食べものとしてはタニシがあった。
最後に汁かけご飯。
大使館の方たちが言うには「ねこまんま」
これもたいへんおいしかった。
宴の途中で、彦ちゃんの出発の時間となる。
彼女は夜の便で日本へ帰る。
彦ちゃん、こんにゃく座観劇ベトナムツアー、楽しめましたか?
たくさん手伝ってくれて、ありがとう!
ホテルに戻った私たちは、榛澤さんと、大使館の下西さんも交えて、昨日と同じく101号室で、
またまた飲み会。
下西さんは世界70カ国を旅したという、とてもおもしろい方。
私たちも旅をして、たくさんの人と出会う。
「この世界には、いろんな人がいる」
ピノッキオ最後のことばは、私たち自身のことばだ。
ピノッキオの現場から:制作アキ
ハノイは雨期に入り雨がざんざん降ったりしています。
今日はホーチミンの誕生日でした。
街中がお祝いムードです。
ジャカルタでの写真です。
今日はホーチミンの誕生日でした。
街中がお祝いムードです。
ジャカルタでの写真です。
TIM(劇場)の入り口には大きな布幕ポスターがあった!
こんな大きなピノッキオは最初で最後だろうな~。
萩さんが日記にも書いていた新聞記事。
分身の術を使うピノッキオVS阿修羅OKAHARA。
インパクトありすぎです。
TIMのテアトルクチールの楽屋口に2匹のネコがいついている。
そのうちの一匹は楽屋の中まで「よろしいでしょうか?」とお伺いをたてながら
入室してくる。井村くんととアイコンタクトしているけど、通じてるのかな?
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