5月30日(水)
歌役者諸氏は、ラオ語のセリフの勉強をしつつ、ゆったりと半日を過ごしたはずである。
基金の内田さんと、山崎、萩の3人は、昨日ワークショップを企画してくださった
ラオス日本センターの施設を見学に行く。
日本センターの花園千波さんが迎えに来てくださって、朝9時出発。
ホテルからそう遠くはない。
そもそもビエンチャンの町がそんなに大きくないから、どこへ行くにもそれほど遠くないのかもしれない。
日本センター(ラオス日本人材開発センター)は、ラオス国立大学の膨大な敷地の一角に、
経済学部の建物と隣接して建っている。
この経済学部の建物と日本センターを、日本の資金で建設したということだ。
ラオス日本センターには、ビジネス教育、日本語教育、
文化交流という3つの柱があり、日本に関する文献を集めた図書館や、
パソコン実習室など、充実した施設内を、佐藤幹治所長(チーフアドバイザー)が案内してくださった。
ラオス大学の学生が積極的に利用している様子である。
午前の早い時間なのに、大勢の学生が来て勉強していた。
「次回、ラオスに来たときは、ぜにここで公演してください」と、見せてもらったホールは、
フロアも広く、後方は階段になっているので見やすいだろう。
300人以上収容できる。
『ピノッキオ』をここでやることも可能だ。
街中から少し離れているので、一般の人は来にくいだろうが、
ラオス国立大学の学生に見てもらうことが可能である。
所長の佐藤さんとお話していると、すぐ次のラオス公演が実現できるような気になってしまう。
まだ今回の公演が終わってもいないのに(!)
ラオスには、「ロミオとジュリエット」と同じ物語が語り継がれているので、「ロミオとジュリエット」を上演すれば受けること間違いなし、
とか、「一休さん」とよく似た話もあるので、それを題材にオペラを作ったらどうか、とか、
どんどん話が盛り上がってしまうのだった。
日本センターを後にして、次に、市場に連れて行ってもらう。
ホテルから歩いてもいかれる距離にあるタラート・サオという市場。
市場へ行く途中、タート・ルアンというラオスのシンボル的な黄金の塔に立ち寄る。
正方形の塔をぐるっとひとまわりするうちに、にわか雨が降ってきた。
雨はすぐにやみ、さて市場。
ラオスの市場はおっとりしている。
「らっしゃい、らっしゃい!安いよ、安いよ!」というような呼び込みがない。
商品を見ていると、ニコニコとそばに来る。
座員へのおみやげなど、おみやげリストを片手に、汗だくになって買い物。
ラオスの通貨はキップだが、ドルも通用するし、タイのバーツもOK.
「いくら?」と聞くと、何ドル、と答えてくれる。
私たちはドルを持ってきていないし、キップにも両替しなかったのでバーツで支払う。
ドルだといくら。キップだといくら。バーツだといくら・・・・。
ラオスにいる間中、この3種類の通貨の数字が、頭の中をグルグルした。
お昼は地元の食堂でカオピックという餅米の麺を食べる。
タイでもそうだが、テーブルの上には、唐辛子、お酢などとともに、砂糖がおいてある。
コーヒー用ではなく、料理に入れるのだ。
こちらの人たちは、運ばれた料理にこの3種類をかけて、辛く、酸っぱく、甘くして、食べるのある。
地元のやり方にしたがうのがモットーだけれど、どうもまだ、お砂糖をかけて食べる、ということはやれていない。
唐辛子と黒酢をかけて食べた。
おいしかった。
13時に劇場入り。
準備をして、16時から通し稽古。
昨日も今日も、衣裳をつけず、稽古着のまま通しをしたので、
通訳のサリさんが、「衣裳はあるのですか?」と心配そうに聞いてきた(笑)。
そして最後のセリフのチェック。
通訳のおふたりに、「たいへんよくなりました」と、誉めてもらって、
いよいよ本番。
アジアツアー最終ステージ。
ラオス・ビエンチャン公演。
会場は1300人収容のラオス国立文化会館。
最前列はVIP席。
桂日本大使ご夫妻、ラオスの情報文科省の副大臣、カンボジア大使、韓国大使、中国大使・・・・・・・など、
まあVIP席が足りなくなるほどたくさんのVIPが家族連れでご来場。
こんなことはラオスでもめずらしいことだそうだ。
私たちも、こんな状況は初めてである。
「『森は生きている』の宮殿の場面だと思えばいいよね」などと
ばかなことを、舞台の袖で言い合っている。
一般のお客様の入りも上々で、一階席(約1000席)が8割方埋まった。
これまでの国では、「ピノッキオ」のものがたりは、一般的に知られていたが、ラオスでは知られていないとのこと。
開演前に、通訳のワンさんがかげマイクで、あらすじを紹介した。
さて開演。
ラオ語の反応も上々で、とても良い感じで進んでいった。
オペラをはじめて見る人がほとんどだが、外国人の観客もたくさん来ていた。
オペラ、ということで興味を持ってくれたのだろうか。
だから、客席からはいろいろな反応があった。
最後に、人形である4人の歌役者がドンゴロスのなかに入り、ピノッキオの手だけが「バイバイ」をする。
客席からは大きな拍手。
一同礼をすると、「ブラボー!」も聞こえた。
クアラルンプールで幕を開け、ジャカルタ→ハノイ→バンコク→ナコン・ラリャシマー→コーンケン→ウドンタニ、
そしてビエンチャンと旅してきた。
ハノイあたりまでは、作品が立ち上がっていく過程と言えるだろうか。
そしてバンコクからの旅で、少しずつ自由になってきたと思う。
各地の言葉と格闘しながら、ここまで来た。
感動的なラストステージだった。
みなさん、お疲れ様ー!
そして最後のパッキング。
ラオスから日本への直行便はないので、バンコクに一度立ち寄り、日本に帰る。
完全なパッキング。
23時ころ劇場を出る。
斜め向かいのホテル(徒歩1分)まで、車で送ってもらう!
さて、それからホテルの部屋で、打ち上げ飲み会。
日本センターの花園さんも参加。
基金の内田さんはワインを赤白2本、用意してくれていた。
ラオスはフランスワインが豊富で、しかも安いのです!
飲んでしゃべって、話はつきない。
でも明日の出発は早い。
午前2時ころ、おひらき。
アジアツアー13ステージ、無事終わった。
一同、大きな病気もケガもなく、ここまで来ることができ、本当によかった。
仕掛け人の内田さん、ありがとうございました。
そして、各地でお世話になってみなさん、
日本で応援してくださったみなさん、
日本で活動している、こんにゃく座のみんな!
ありがとう!
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