陸前高田市の高田高校での『ネズミの涙』公演レポート(萩京子)

……2012年6月26日(火)……

萩京子


昨年実現できなかった高田高校での公演。演目は『ネズミの涙』。いつか必ず見てもらいたいと願ってきた。それがこんなに早く実現できたことがとてもありがたく、ちからをつくしてくださった先生方にもお会いしたくて、25日夜行バスで向かう。
高田高校は震災後、陸前高田市の北、大船渡市の大船渡東高校の萱中校舎を仮校舎としている。公演はその萱中校舎の体育館で行なわれた。
私は朝7時、盛(さかり)というバス停に到着。友人の姫田蘭さんも公演を見届けるため、東京から車で来てくれていた。午前中の仕込みの時間、ピアニストの榊原さんも伴って、姫田さんの車で陸前高田市に向かう。
震災から1年と3ヶ月経過した現在の陸前高田の光景をこの目に焼き付ける。高田高校、市役所、市民会館、市民体育館などを見た。市民体育館の前には、海から引き揚げられた乗用車、バス、重機などが並んでいた。どれだけ長い間、海の中にあったのだろうか。車体一面に貝がへばりついているものもある。貝が風に揺れてさらさらとした音をたてる。
瓦礫の山も見た。さまざまな感情が、この瓦礫の山に濃縮されて押し込められているように感じた。暮らしを支えてきたさまざまな物たちが、ある日突然、瓦礫と呼ばれるものになってしまった現実が目の前にあった。



学校に戻って校長先生とお話をする。学校は少しずつ元気をとり戻しつつあるとのこと。実際、校内で出会う生徒たちは溌剌としていて、すれ違うと「こんにちはー」「こんにちはー」とあいさつしてくれる。
犠牲になった22人の生徒とひとりの先生の写真を見る。
今回の公演は図書の先生方が尽力してくださった。エプロンをつけた佐藤一枝先生。お世話になりました。そうそう、学校の図書室にはエプロンをつけた図書の先生がいらしたことを思い出す。高田高校は読書好きの生徒が多いそうだ。図書室の本は津波ですべて流れてしまった。高田高校に本を贈る運動も、たくさんの方がちからをつくして、行なわれている。

音楽の山崎歌子先生にもお会いして、友人のピアニスト、浅井道子さんがカンパを集めて寄贈したピアノを見せてもらう。山崎先生ともいろいろお話できた。座員の彦ちゃんの友人の林さんが高田高校に楽譜を送る活動をしていた。その林さんは山崎先生の友人なのだそうだ。本当にいろいろな人、いろいろな動きが高田高校と繋がっていることを感じる。それらのことを記憶にきざんでおきたいと思う。



『ネズミの涙』公演は、暑いなか、熱心に見てもらえた。終演後、生徒が作ったというサバの水煮や味噌煮の缶詰をおみやげにいただいた。海洋システム科という科があるのだそうだ。

バラシの後、山崎先生のはからいで、合唱部の生徒と交流することができた。男女共学だけれど、合唱部は女子だけ。校歌と「坂道のうた」を聞かせてくれた。
「坂道のうた」は、覚和歌子さんの詩、千住明さんの作曲による歌で、今年、大船渡保育園の園歌としておふたりがプレゼントした「さかみちをのぼって」をベースにした曲で、合唱曲になっていた。校歌も「坂道のうた」もとても素敵な演奏で、心のこもったきれいなハーモニーにジンとしてしまった。涙ぐんでいる座員もいた。こんにゃく座は「ぼくたちのオペラハウス」を歌った。それから写真を撮ったり、『ネズミの涙』劇中のギャグをアンコールなどして、楽しい時間を過ごした。そして最後は、トラックとハイエースなどで私たちが学校を後にするのを、見送ってくれた。生徒たちの笑顔にこちらが励まされた。



こんにゃく座一行は次の公演地、葛巻へ向かう。私は新花巻駅で降ろしてもらい、帰京した。とても長い一日、忘れることのできない一日となった。

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