10月7日(日)
コルカタ公演当日。コルカタ以降は乗り打ち、当日仕込んでその夜本番となる。8時15分ホテル出発。会場のコルカタ音楽学校には8時半ころ到着。ピアノの調律は昨日終えている。442を希望したが440にしてほしいとのこと。オーケーオーケー。実際アコーディオンやピアニカなど決して442ではない楽器を使っているのだから、まったく大丈夫なのである。むしろ440で良いくらいだ。
日本でこちらの会場の資料を見たとき、舞台の狭さ、天井の低さなど、なかなか困難な条件だと感じた。だが、舞台を使うのではなく客席のフロアを演技エリアにして、お客様をフロアと舞台上に、というアイデアを思いつき、道が開けた。そして、コルカタ音楽学校からも「日本からみなさんが来てくださることは神様からの贈り物だと思っています。」というメッセージをもらってしまったので、これは張り切らざるを得ない。
コルカタ音楽学校がどのような音楽学校なのか、いろいろ想像していた。西洋音楽なのか、インドの伝統音楽なのか、その両方なのか。こちらに来てからわかったことは、西洋音楽の学校だとうこと。生徒の年齢層は幅が広く、例えば小学生は普通の学校に通いながら、音楽の勉強を週に何日かこの学校に習いにくるということのようだ。コンセルヴァトワールということのようだ。
ホールは1階。2階のレッスン室が並んでいるその奥の部屋を楽屋として使わせてもらう。レッスン室からはショパンの「革命」を練習しているのが聞こえてくる。また昨日のワークショップに参加してくれたプロフェッサーの部屋からは不思議な歌のレッスンの様子が聞こえてきた。このレッスンの様子、大石さんに聞かせてあげたいと思った。
当初コルカタではベンガル語の台詞を入れようと言っていたが、それは断念して、英語オンリーでいくか、ヒンディー語を入れるか悩んでいた。こちらに来て,領事館の久保田さんと相談して、ヒンディー語も入れることにした。ヒンディー語とベンガル語は構造の音もよく似ているようだ。
丸2日ワークショップだったので、『ピノッキオ』は3日ぶり。はじめからていねいに稽古する。稽古の後、明日のワークショップに備えて、ソングの練習をする。
音楽学校がご用意くださったサンドイッチを頂いて本番に備える。
6時半開場だが、6時くらいからお客様が並び始める。開場を少し早める。
桟敷席と椅子席がある場合、日本では大人はなかなか桟敷に座ってくれない。だから桟敷は子ども、大人は椅子に、と思っていたが、開場すると大人もどんどん桟敷に座ってくれる。それから靴をぬいでもらう段取りをちゃんとしていなかったのだが、インドの人たちはどんどん靴を脱いで、桟敷にあがって行く。靴を脱ぐことへの抵抗が西洋の人と違って、ないのだな、と感じた。
お客様はどんどん増え続け、どんどん椅子を追加する。最後列は立ち見となった。予定以上の人数でエアコンもきかず、場内大熱気。およそ200人のお客様が入場。
出演者は会場の外からドアを開けて登場する。ドアを開ける係は基金の土井さん!太鼓が鳴り始めてから3小節目にあけてくださいね、とお願いする。
ぎゅうぎゅう詰めのなか、どなたも帰ることなく(インドではめずらしいことなのだそうだ。)大人もこどもも、皆さん、集中してみてくださった。やはりピノッキオとジェペットの再会では大拍手がわく。あんなに混んでいたから帰りたくても帰れなかったのでは、と思ったが、インドの人は帰りたくなったら絶対帰るとのこと。暑くて窮屈な中、熱心に終わりまで見ていただけて、ほんとうにうれしかった。
川口総領事夫妻もご来場くださり、「とてもおもしろかった。日本での公演もぜひ見たい」とおっしゃってくださった。こんにゃく座のホームページも見てくださったようだ。ありがとうございます!
終演後、お客さまと出演者が交流することも、海外公演のひとつの醍醐味だ。学校の先生をしている方から、コルカタに何日滞在するのか、ぜひうちの学校で公演してほしいと言われた。学校公演の注文だ!でも、私たちは明日チェンナイへ行かなくてはならない。
大急ぎでバラシをして、11時までに入ればビールも飲めるという店に飛び込み、コルカタ公演の成功を祝う。コルカタ領事館の久保田さんも参加してくださった。私たちの衣裳の洗濯もしていただいた。感謝!
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