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ピノッキオ旅日記 in インド!(10月14日):萩京子

10月14日(日)

いよいよ帰国である。だがフライトの時間が夜なので、半日観光と買い物。基金の松岡さんと牧野さんがお付き合いくださる。
8時にホテルを出発。バスでジャマー・マスジットへ向かう。オールドデリーに近づいていく。途中、お祭りの行列が見える。山車のようなものもある。10日間続く「ダシャラー」のお祭りの、今日は初日だということだ。(←違っていたらごめんなさい。)それから「泥棒市場」が見える。盗品を売っているということ?ひゃあ!人また人。すごい数の人間がいる。思わず「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい~」と歌いたくなる。ジャマー・マスジットに着く。「オールドデリーを見下ろすイスラームのシンボル」と「地球の歩き方」に書いてある。入場料はいらないが、カメラを持っていると300ルピー払わなくてはいけない。入り口で靴を脱ぎ、はだしになる。女性はすその長い上着を着せられる。男性で短パンの人も腰布を着せられることになるが、いつも短パンの佐藤ちゃんが今日は長いパンツを穿いていた。



足もとは石でざらついている。時々痛い。日本のお寺ではだしになるのとはわけが違う。足の裏でインドを感じる。まだ朝早いが少しずつ暑くなってきた。広い中庭でぶらぶらしてから、塔(ミナレット)に登ることにする。登るために100ルピー。高さ40メートル。らせん階段をぐるぐる登る。一番上まで登るとオールドデリーを見渡すことができる。でもとても狭い。足を置ける場所が私たち一行11人でいっぱいだ。私が「蘭ちゃん、外側から私たちを撮ってよ」と冗談を言うと皆大笑い。ヘリコプターでもなければ無理な話だ。しばし眺めを楽しんでから、降りる。



ジャマー・マスジットを出て、オールドデリーの街中を少し歩く。路地裏にも入ってみる。どの店もどの店も謎めいていておもしろい。路地の奥で白い牛に出会った。やったあ!神様に会えた。





そしてバスに戻り、本隊はホテルに戻る。だが、久ちゃんとまりは世界遺産のフマユーン廟に駆け足で行って来る。久ちゃんとまりはツアー中お腹もこわさず、元気いっぱいだ。
12時にチェックアウトし、アンビアンス・モールというショッピングモールに向かう。そこでお昼を食べ、買い物をし、空港へ行く、という段取りだ。
インド最後の食事をどうします?と松岡さんに聞かれ、やはり名残の、いや、とどめのインド料理でしょう、ということで、全員南インドのターリーを食す。



そして、約1時間半それぞれちらばって買い物!買い物!この2週間ほとんどお金を使っていなかった。私はインド到着した日に両替した1万円分のルピーがほとんどそっくり残っている。
私と麦は、松岡さんにお付き合いいただき、一昨日買いきれなかった座員へのおみやげの続きを探しながら、時々ちゃっかりと自分の買い物もした。アノーキーと、ファブインディアという布ものを売っている店で基本的に買い物を済ますことができた。そしてモール内をうろうろしていたら、基金の土井さんと山村さんに遭遇。私たちを空港まで見送るためここで合流したのだった。残り時間がほんの少しあったので、CDショップにちょっと寄って、ボリウッドもの(インドの映画音楽)とベンガル語の歌のCD、タゴールソングと書いてあるものを選んで買った。11年前は海賊版みたいなカセットを大量買いしたような記憶がある。もう今はカセットなんて売ってない。そしてすでにCDよりもDVDが主流なのだそうだ。CDの品数は少なかった。
そして空港へ。基金から持って来ていただいた段ボールに、おみやげ類をどうにかこうにか詰め込んで荷造りした。大使館から野田参事官と堀川書記官がカルネの手続きに立ち会うため来てくださった。基金のスタッフのみなさんとは空港の外でお別れしなくてはならない。記念撮影をしたり、締めのことばを述べあったり。2週間のピノッキオインドツアーの成功を喜び合った。
空港内に入り、麦と大使館のおふたりと佐藤ちゃんが、カルネの荷物のひとつ、ビニールシート1号のみを持って、カルネの場所へ。私たちはのんびり待っていた。ほどなくして、無事手続き終了とのことで4人が戻って来た。荷物も開けられなかったそうだ。このインド出国のカルネ手続きを終えれば、ツアーの難関はおしまいだ。
そこまで、空港の外から土井さん、松岡さん、山村さん、牧野さんは見守ってくださっていた。ありがとうございます。
私たちは、ひとりシンガポール経由で別便で帰国する姫田蘭さんと別れ、チェックイン。空港の中で、残りのルピーを使い果たそうとさらに買い物などして、7時35分離陸。日本時間朝6時15分に成田に到着。
金子くんがハイエースで迎えに来てくれていた。荷物をハイエースに載せて、ツアーメンバー8人で、最後の締め。制作チーフ麦の一本締めでツアーを終了させた。



追記
本日分の写真は萩京子。
これまでの写真は99.9%姫田蘭さんの撮影。
蘭さん、ご協力ありがとうございました。


***


ピノッキオ旅日記 in インド!(10月13日):萩京子

10月13日(土)

デリーでの追加公演。劇場はナショナル・スクール・オブ・ドラマの劇場。朝8時半にホテルを出発する。学校の敷地内に劇場がある。劇場の前に中庭があって、学生たちが何かしている。何かヨガのようなことをしている人もいたり、なんだかよくわからないのだが、白い布を身体にぐるぐる巻き付けている人もいた。劇場のキャパは336人。小劇場ながら舞台には奥行きがあって、ピノッキオを上演するにはうってつけの劇場と言える。
9時から仕込み開始。お昼前にはほぼ完了。今日はヒンディー語と英語と日本語だけ(!)だから、みんな余裕がある。とは言え1時半からことばと動きのチェックをしながら、飛ばすところもあるが、ざっと当たっていく。2001年の時にもお世話になったシャリニさんにヒンディー語のチェックをしてもらう。もうほとんど直されるところもなく、OKがたくさん出る。4時より前に終わり、舞台や劇場の前で、基金のスタッフの方たちとも一緒に記念撮影をする。
6時開場。開場時間より前から人が集まってきている。今回はデリーでの追加公演ということだから、10月4日の公演を見た人から口コミで広がって、たくさんの人が来てくれることが期待されていた。でも期待しすぎて、がっかりするといけない、等々気をもんでいた。それが、たいへんな勢いで人が入場してくる。どんどん席が埋まっていく。とうとう椅子席に座りきれず、立ち見となった。通路に座っている人もいる。観客層は前回と少し違って、大学生くらいの人がたいへん多い気がした。ナショナル・スクール・オブ・ドラマの学生も大勢いるようだ。
6時半開演。今日は出演者の体調もとても良い。インドでの約2週間のうち、やはり中盤は体調をくずした人もいたが、後半に向かって盛り返してきた。開幕の太鼓のパレードは良い感じで進んだ。そこまで「Opera Pinocchio」という字幕タイトルで、太鼓パレードが引っ込んだら、「Birth of Pinocchio」という場のタイトルに変わることになっている。だが、「Opera Pinocchio」のままだ。大工の棟梁役の岡原が登場する。「おれは大工の棟梁、大棟梁だ」と歌う。そこで字幕は「I am a master of carpenter」と出なくてはいけないのだが、出ない。字幕のパソコンかプロジェクターに不具合が出たのか?最後まで字幕が出なかったら……?と思っていたら、途中から動き出し、字幕5ページ目から追いついた。後で舞台監督の森下さんに聞いたら、パソコンがフリーズしてしまったのだそうだ。これまでは順調だったのに、最終日というのは思いがけないことが起こるものである。
それからは、快調に進み、ヒンディー語もよく伝わるし、受けるし、何よりも物語の行方をしっかり見てもらっていることがわかる。役柄のチェンジも理解してもらえて、喜んでくれている。リズミカルな曲では手拍子が出る。「いいぞ」と感じながら見ていた。
さて、キツネとネコが登場して、大いに受けて、さて彼らがお化けに扮して再登場するところ、ドンゴロスから何か取り出すべきものが見つからない様子。何かセッティングミスがあったのか…?と客席からやきもきする。お化けに扮したキツネとネコがピノッキオを木に吊すのだが、ああ!その首つり縄がないのだった。だが、縄が無くても(無対象でも)ピノッキオが木に吊されていることは完全に理解できた。初めて見た観客は、こういう演出だと思うだろうな。本日のスペシャル演出ということで、良しとしよう。でも、役者諸氏はいろいろ頭の中で考えて、パニクっているだろうな、と察する。最終日というのは、思いがけないことが起こるものである。
さて、それから先も、とても良い内容で進行。いよいよクライマックス。ピノッキオがくじらに飲み込まれるところ。インドでは各地、ここで大拍手が起きた。今日もまたすばらしい拍手。だが、私にははっきり聞こえた。ボキッという音が。一応企業秘密なのだが、クジラの布の仕掛けは釣り竿なのです。(完全にバラしてますね!)その釣り竿が折れたのだ。だが、われらがまりちゃん、折れた部分をしっかと握り、これまた観客には折れたことがわからなかったに違いない。初演に向けての稽古や、初演のアジアツアーの際は、このクジラの竿は何本もボキボキ折れた。その後の国内のツアーではほとんど折れなくなった。竿の扱いが抜群に上手になったのである。だが、今日は折れた。クジラもインドを旅して疲れたのですね。最終日というのは思いがけないことが起こるものである。
そんなこんなで、いろいろあったが、中身はすばらしい公演だった。私はもちろん何回も『ピノッキオ』を見ているが、今日の公演は忘れられないだろう。トラブルを乗り越えたことではなく、出演者と観客の関係がすばらしかった。終わってからのロビーでの交流も今まで以上に熱烈で、いつ果てることもない、という感じだった。インドツアーの最終公演を終えて、成功を実感することができた。




そしてインド最後のバラシとパッキング。明日は国際線に乗る。カルネの手続きもあるから、荷物をきちんと入れるべき場所に入れなくてはならない。節約モードで使ってきた養生テープやガムテープ類を今日は思う存分使って良いよ、と森下さんが言う。
さて、バラシも終わり、今日はインドツアーの打ち上げ。基金の松岡さんのご好意で松岡さんのお宅で打ち上げをさせていただけることになった。しかも食べ物や飲み物の準備もすべてやってくださった。すてきなアパートに奥様の早代さんと息子さんの亨真(こうま)くんが出迎えてくださった。亨真くんは1歳半。変な大人がわらわら訪れてごめんね。初めはちょっと人見知りしていたが、だんだん仲良しになってくれた。松岡さんには何から何までお世話になった。汗にまみれた衣裳の下着の洗濯までお願いした。レストランでの打ち上げより、こういうアットホームな打ち上げが、心からうれしく感じた。



皆ほんとうにくつろいで楽しい時間を過ごし、松岡さんのお宅を後にする。ホテルに戻ってからはあっと言う間に熟睡状態となった。


***


ピノッキオ旅日記 in インド!(10月12日):萩京子

10日12日(金)

 朝5時半集合。ホテル出発。まだ暗いなかを空港へ向かう。今日はプネからデリーへ移動。デリーで始まった『ピノッキオ』インドツアー、コルカタ、チェンナイ、プネと経て、明日もう一度デリーで公演する。今日は移動だけの一日。どうしても皆ニコニコ顔になる。
 デリーに着き、ホテルにチェックインして、さてどうするか?
 基金の松岡さんと一緒に車でディフェンスコロニーに行き、お昼を食べ、GK1のNブロックでお買い物をするグループと、自由にホテルから歩ける範囲で行動するグループに分かれることにする。私はディフェンスコロニー組へ。ターリーという金属の大皿にいろいろなものが載った定食を食べ、その後座員へのおみやげを買う。




 3時から岡原、まり、久ちゃん、真理子さんはアユルヴェーダーに出かける。他のひとはそれぞれ自由に過ごす。オートリキシャに乗った人、数名。



 7時に全員集合して、基金の山村さんと一緒に韓国料理を食べに行く。大きなモールの中にあるその建物のなかのエレベーターで向かっていると、ある階でエレベーターの扉が開くとなんと基金の土井さんが!あまりの偶然にみんなで大笑い。
 インドで韓国料理というのもなかなか良かった。マッコリも飲んだ。
 コルカタに同行してくださったが、チェンナイ、プネの公演に立ち会っていただいていない土井さんに、チェンナイ、プネの報告をする。
 次回のインドはどうする?とか、インドの次はどこの国に行くか?作品はどうする?と、つきぬ夢を語り合った。
 明日は公演なので早めのお開き。ホテルに戻り、10時半ころそれぞれの部屋に引き上げた。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月11日):萩京子

10月11日(木)

プネ公演当日。朝8時半にホテルを出発。会場であるティラク・シュマラク・マンディール劇場へ向かう。デリーから、基金のラジェーシュさんが朝早い飛行機で応援に駆けつけてくれた。劇場ではボランティアの女子大生8人が待っていてくれた。みんな美人でかわいい。男性諸氏、目がキラリとなる。



みなさん日本語を勉強している学生で、何年も勉強している人もいれば数ヶ月の人など日本語のレベルはいろいろである。ご挨拶をして自己紹介をする。彼女たちはネームカードを首から提げているが、パッと読めないので、私が白いガムテープにカタカナで名前を書いて胸に貼ってもらう。胸にガムテープで名前を貼るのは国内のワークショップでおなじみなのだが、ガムテープを胸に貼ったりしてごめんね、という気持ちもある。だが、貼ってあげると、彼女たちがみなていねいに「ありがとうございます」と言うので、なんともキュンとした気持ちになる。
ルパルさん、アンキタ(オンキタ)さん、サヤリさん、ドゥルガさん、ダルシャナさん、ミナクシさん、ヴィジャヤさん、アムルタさん。(あとから他の方もいらしたかもしれないけれど、以上8人のお名前しか記録してなくてごめんなさい。)
男性のボランティアはハルシャドさん。ご自分で「春」に「車」に「道」です。とおっしゃる。彼とは昨日、サテさんの教室でお会いした。
女子学生のみなさんに、こんにゃく座側のメンバーの名前も貼って、と言われ、「HAGI」「OKA-CHAN」「SATO-CHAN」「KYU-CHAN」「MARI-CHAN」「MUGI-SAN」「MORISHITA-SAN」と書いて皆胸に貼る。真理子さんと蘭さんは後からの到着なので、以上7名。私は「はぎさん」と呼んでもらったが、ガムテに「さん」をつけるのを忘れた。
なぜ、「ちゃん」という人と「さん」という人がいるのですか?「ちゃん」はちいさな子どもにつけるのではありませんか?とするどい質問が来る。「これはニックネームのようなものです。私たちは仲が良いから「ちゃん」と呼び合うのですよ。」というようなことを答える。
お昼ごろ、サテさんがお手製の、なんといったよいのか、ピアニカをハルモニウムに変身させる楽器とでもいうようなものを持ってきてくれて、私たちにプレゼントしてくださるという。ハルモニウムはインドの手風琴で、片手で蛇腹を動かし、片手で鍵盤を扱うものだ。サテさんの持ってきてくれた箱状のものの内側に、ピアニカの口を差し込むところがついている。そこにピアニカの口を差し込めば、蛇腹を動かして音が出る。なんとピアニカがハルモニウムに変身するのだ。サテさんの発明だから「サテモニウム」と名付けることにする。(私の勝手な命名です。)
仕込みを終え、お昼ご飯を食べ、1時半くらいから、舞台稽古を始める。マラーティー語のセリフをアトレさんにチェックしてもらいながら、進めていく。アトレさんはとても流ちょうな日本語を話す方だ。日本で6年間仕事をしていたという。練馬に住んでいたとのこと。今日は、日本語、英語、ヒンディー語、マラーティー語を駆使した1回きりの公演だ。日本人には「R」「L」の区別が難しい。「R」だったらとりあえず舌を巻いて言えば通じるかといえばそうもいかないようで、なんだか無数の「R」と「L」があるような感じである。私たちには同じように聞こえる言葉が、とんでもなく違う意味になってしまう。「それは違う意味になってしまいますねえ。うんこという意味になってしまいます。」とか言われると皆で大笑い。でも時々は「すばらしいです。完璧に通じます。」と褒めてもらえる。



さて、6時開場。日本語であいさつをしてくれるお客様がたくさんいる。劇場のキャパは900で、何人くらい集まるか蓋を開けてみなければわからない、ということだったが、400人くらいの入場者となった。
開演前に舞台上でティラク大学の学長のごあいさつがあり、花束贈呈のセレモニー。学長さんがプレゼンテーターで、私と基金の松岡さんがいただく。それからアトレさんが英語とマラーティー語を交互に、前説。写真、ムービー、携帯の着信音のこともしっかり「ダメです」と伝える。アナウンスだけではだめで、姿が見えないと聞いてもらえない、ということなので、今回アトレさんに舞台上から言ってもらった。そしてボランティアの学生のみなさんも客席に立って、気を配ってくださっていたので、今日の公演はたいへんすばらしいマナーだった。じつにじっくりと、ものすごい集中力で見てくださった。マラーティー語のセリフには、クスクス・・・と言った笑い声や、ドカンと受けるところや、場面に応じての反応。おもちゃの国では大変な拍手。今回インドツアーに向けて、おもちゃの国をにぎやかに楽しくするために、演出の伊藤多恵さんがいろいろ工夫してくださった。予算がないので、100円ショップの不思議なグッズを駆使して、軽量で不思議な道具をこしらえた。それが大成功したのだ。多恵さんにこの歓声を聞かせたいなあ。プネのお客さまはおもちゃの国で、大喜びしてくれましたよ!



私は今日は前から3列目で見た。いつも後ろの方で見るのだが、前の方というのはいろいろ良く見えておもしろい。くじらがピノッキオを飲み込む場面は、やはり客席全体から「おお!」という声があがり、拍手が来る。その後、くじら布を持って後ろ向きに立っている岡原がなんだか笑っているように見えた。後で聞いたら、くじらに飲み込まれたピノッキオ(久ちゃん)を再び前に転がり出させるとき、ロバになった子どものかっこうの佐藤ちゃんが久ちゃんを押し出してあげるのだが、そのとき、勢いあまって久ちゃんをなぐってしまったそうだ。ピノッキオの久ちゃんはそのとき「痛っ!」と言ったそうで、岡原はおかしくてたまらなかったらしい。しかもくじら布の後ろでジェペットに早変わりする佐藤ちゃんは、動揺したあまり、ロバのしっぽを取り忘れてそのまま出そうになったらしい。
幕の後ろでも、毎日たくさんのドラマが繰り広げられるのである。
 終演。たいへん熱烈な拍手をいただいた。舞台上で、ティラク大学の学長が、出演者と制作の土居麦と、舞台監督の森下さんに花束をくださる。出演者が花束をいただくことはお聞きしていたが、スタッフも、ということはお聞きしていなかったのでどぎまぎしつつも、麦と森下さんは舞台に出てきて花束を受け取る。
舞台監督の森下さんは字幕操作で舞台奥下手に張り付いている。それから制作の麦は上演中はもっぱら照明係。しかもこのティラク公演では、オーケストラボックスというかなんというか、舞台前方の穴の中で操作していたのであった。
ロビーでお客様をお見送り。そこでもみなさん口々に「すばらしかった」「おもしろかった」と声をかけてくださる。客席に残っている人もたくさんいた。小学生の女の子に「私の学校に来て公演してください」と言われた。またまた学校公演の注文だ!もっと長く滞在できれば、学校公演もできたのだが、残念だ。新聞の取材もあった。海外公演の時に思うことは、アジアでもヨーロッパでもそうだが、報道陣が積極的でエネルギッシュなのだ。おもしろい記事を書いてくれることを願う。
 バラシもだんだん早くできるようになってきた。ふと見ると、私たちのバラシの間、10人がかりでずっとピアノの梱包作業をしている。その得も言われない状況のおもしろさをうまく伝えることばがない。プチプチでピアノをぐるぐる巻きにしている。ピアノ運搬のノウハウをヤマハさんはインドの人に教えてあげるべきである。そうそう、書き忘れたが、コルカタ音楽学校では日本の学校公演ではおなじみのピアノおろしがあった。こんにゃく座の技術がものを言った。
 バラシが終わり、楽屋に集まる。アトレさんがビールを買ってきてくれた。アトレさんは日本人が打ち上げ好きだと言うことをご存じだ。ありがとうございます。楽屋でプネ公演の成功を祝って乾杯。
 そしてホテルに戻って、レストランであらためて乾杯。コーディネートしてくださった田邉さんと三國さんもご一緒に。サテ先生はご自宅にお客様がお出でになるということで、劇場でお別れした。ほんとうにお世話になりました。
明日はなんと朝5時半出発だ。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月10日):萩京子

10月10日(水)

 9時ホテル出発。総領事館の古川さんがさっそく今朝の新聞に掲載された昨日の公演の写真と記事を見せてくれた。まだ他にも掲載される予定だという。公演した翌日に記事になるということが、なんともうれしい。



 空港に向かい、基金の山村さんとはお別れ。山村さんはデリーに帰る。デリーでまたお会いできる。
 今回もまた約2時間のフライト。昨日の公演の興奮も残っている。チェンナイの滞在は特に短く感じた。街を歩く時間がないのが残念。
 プネに到着。基金の松岡さんがデリーから来てくれている。数日ぶりの再会に感動。松岡さんはすごく頼もしい頼れる存在である。プネはサテさんというティラク大学で日本語を学びかつ教えている方が、コーディネートしてくださっている。彼に会いにティラク大学に向かうのは後ほど。まずはホテルでチェックイン。そして日本語を教えている田邉さんと三國さんと合流。おふたりはプネ公演実現に向かって会場選びその他準備に携わってくださっている。3時なのでお店のお休み時間なのだが、特別に開けてくださった。おふたりにプネについていろいろお伺いしながら食事。松岡さんにはデリー、コルカタ、チェンナイ公演の反響についてなど伺う。
 さて、まずプネの地の言語、マラーティー語のセリフを、チェンナイでのタミール語ぐらいの分量を言おうということになった。そして日本語をすばらしく話すことのできるヨギーニ先生を急遽お呼びして、ホテルのロビーでマラーティー語を教えていただく。
 その後、舞台監督の森下さん、佐藤ちゃん、麦、萩、基金の松岡さん、田邉さん、三國さんとともに、公演会場であるティラク・シュマラク・マンディール劇場へ向かう。大学のホールとお聞きしていたが、大学とは少し離れている。ホテルの辺りは少し静かな一角だが、劇場のある一角はにぎやかで、小さな商店が軒並み並んでいる。
 会場では催し物が終わったところで、人がごったがえしていた。どさくさにまぎれて中へ入って行く。キャパ900で、このツアーで一番大きな会場だ。2階席がものすごく高いところにある。2階席にはお客を入れないようにしてもらうことになっている。
 そうこうしているうちに、ピアノが到着。チェンナイで使ったピアノとは別。ヤマハのG2Bという型番。C2より小さい。デリーと同じように外のクレーンで運び入れる。調律のプラブーさんも到着。



 劇場の状況をざっと見てから、サテさんに会うためティラク大学へ向かう。ちょうど市民に向けての日本語の授業をしているところだったので、教室に入れてもらい、授業を見学させてもらった。
 若い人たちが30人くらい。その中に小学生の女の子がおじいさんに連れて来てもらって授業に参加していた。「机の上に何がありますか?」「机の上には○○があります。」というところを勉強していた。初級ということですね。授業の終わりに歌の時間があって「おもちゃのチャチャチャ」と「幸せなら手をたたこう」を歌っていた。「おもちゃのチャチャチャ」なんて数十年ぶりに聞いたなあ。インドでの日本語授業というめったに見ることのできないものを見させてもらった。




 サテさんにごあいさつし、明日の段取りを少し打ち合わせ、ティラク大学を後にして、ホテルに戻る。
 遅い昼食だったので、あまりお腹はすいていない。でもホテルのレストランでビールとほんの少しお食事。ビールはもっぱらインドのキングフィッシャーという銘柄のもの。けっこういけます。ほどほどで、おひらき。明日はプネ公演。マラーティー語への挑戦だ。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月9日):萩京子

10月9日(火)

 朝8時、ホテル出発。チェンナイ州立博物館劇場へ向かう。博物館や美術館がある敷地内の一角に円形の建物がある。それが劇場だ。木々に囲まれた気持ちのよい場所。劇場は100年くらい前の建物だそうだが、たいへん歴史を感じさせる。建物のまわりには大砲が設置されていてドキリとする。客席は558席、三方から舞台を囲むようになっている。すでにピアノが搬入されていた。ヤマハのC2。デリーでのピアノと同じタイプだ。インド公演はピアノの手配が可能なところで、という一応の条件のもと、ヤマハの協力を得て実現にいたっている。デリーは基金所有のピアノ。コルカタは音楽学校のピアノ。そしてチェンナイとプネはヤマハからのレンタルピアノ、ということになる。ピアノは良い状態のようで、ホッとする。外国公演の場合はピアノの心配が大きい。デリーから調律師のプラブーさんが来てくれる。日本で訓練を受けたことがある調律師さんだ。
 チェンナイ公演の台詞をどうするか、という方針がチェンナイに到着してから、ワークショップも終了してから決まる。歌は日本語、台詞は日本語と英語とヒンディー語とさらに一部分タミール語でやることに決定。タミール語はヒンディー語とはまったく構造が違うという。むしろ日本語と同じ構造だということだ。文字もヒンディーの文字とは違う。文字は音を表していて、247種類あるとお聞きした。発音はとても難しい。。。
 ヒンディー語でやることにしていた台詞約100センテンスのうち40くらいをタミール語にすることとなった。昨日のワークショップの時にお世話になった通訳のマヒンドラさんとプラタップさんにお願いして、タミール語を教えてもらう。当日覚えて当日本番というのはなかなかのスリルがある。でも、現地のことばで台詞を言うとお客様はとても喜んでくださるので、役者諸氏ははりきっている。
 舞台の間口が少し狭いので、動きにも工夫を加えないといけない。2時から冒頭から全部のシーンをとめながら稽古する。5時過ぎまでかかった。それが終わると劇場の入り口で記念撮影。




 6時半開場。2時間かけてバスでやってきた中学生の一団が来た。お客様は続々とやってくる。当初の予想を大幅に上回って400人以上のお客様が入場。場内は熱気がムンムンしている。



 7時開演。開演直前、基金の山村さんが英語で、通訳のマヒンドラさんがタミール語で前説。こんにゃく座のみなさんがタミール語でセリフをいうところがありますから、注目してください、というようなことを言ってくれる。4カ国語公演に挑戦だ。私は客席の上手の端の方で見ていたので、観客の表情がよく見え、舞台に集中してくれているのがよくわかった。いろいろな場面で、笑ったり、拍手したり、歓声をあげたりしてくれる。ひとつの場面が終わると拍手をしてくれる。
 さて良いことばかり報告しているようだが、ひとつなかなか強烈なインド公演の事実をご報告。インドでは、どうも携帯電話のスイッチを切る、とか、写真は撮ってはいけない、というようなことは、いくらアナウンスしてもダメなようだ。せめてフラッシュはたかないでほしいのだが、良い場面で確実にパシャッとくる。ムービーで撮っている人もいる。そして携帯の着信音。これがまた、インドの伝統音楽のようなものだったり、きれいな鳥の鳴き声やらヴァラエティーに富んでいるのである。。。記録撮影の姫田蘭さんは怒り狂って体調がますます悪くなる。
 だが、そういうことを別とすれば、観客の反応はすばらしい。こちらの表現への工夫や努力を理解し楽しんでくれ、賞讃の拍手をおくってくれる。
 終演後、お見送り。ロビーというものはなくて、劇場の扉を開けるといきなり外の回廊になる。そこで出演者はお客様にもみくちゃになりながら、写真を撮られたり、会話したり、などコミュニケーションに励む。2時間かけてバスに乗ってやってきた中学生たち、とてもキラキラした目で、すばらしかった!と言ってくれる。握手、握手。報道関係の取材もあった。



 そしてバラシ。少しずつ早くやれるようになってきた。ホテルに戻り、ホテルのレストランで乾杯。お酒はダメだとあきらめていたのだが、OKだったので大感激。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月8日):萩京子

10月8日(月)

 朝7時ホテル出発。空港へ。コルカタからチェンナイへ。今日はお昼を食べる時間がとれないかもしれないので、空港でサンドイッチと飲み物を買う。コルカタに同行してくださった基金の土井さんとはここでお別れ。チェンナイには基金の山村さんが来てくださることになっている。土井さんとはデリーに戻ったときにまたお会いできる。「きっと成長してデリーに帰ります!」と言ってお別れする。



 チェンナイまでは約2時間。ぐっすり眠ってしまった。さすがに疲れがたまってきて、お腹の調子も少しあやしくなってきた。岡原も元気がない。
 飛行機の中で、それでもタンドリーチキンサンドを食べる。
 チェンナイ空港到着。デリーよりもコルカタよりもぐっと暑い気がする。南インドだ。言語もタミール語。空港の表示もヒンディー語とタミール語と英語の3つがある。
 空港にはチェンナイ領事館の古川さんが来てくださっていた。そしてデリーから基金の山村さんも。
 車輌はバスとトラック。舞台に必要な荷物はトラックに、私たちは今日のワークショップに必要なものを持ってバスに乗り込む。目指す先はABK-AOTSの建物。AOTSというのは、日本に留学したことのある方たちの同窓会の集まり。メンバーの名刺にはDOSOKAIと書いてある。



 学校の教室ほどの広さのホールに一般の方と学生と報道関係の方が30人ほど集まる。大人ばかりの初めてのワークショップ。チェンナイの人はシャイだと聞いたので、こんにゃく体操を一緒にやってくれるだろうか、一緒に歌ったりしてくれるだろうか、と心配したが、なんととても積極的にやってくれた。報道関係者もたくさん来ていて、終わってから何社からも取材された。今晩のテレビでも放送されるとのこと。明日の朝刊にも。良い宣伝となって、明日の公演にたくさんの人が来てくれることを願う。




 ホテルに戻り、すぐ食事に出かける。領事館の方が日本料理店を予約してくださっていた。領事館の古川さんと基金の山村さんと、山村さんともお知り合いで領事館関係のお仕事をされている小林さんとご一緒に夕食。おでんやなす焼き、鍋焼きうどん、カレーうどんなどを食べる。日本の味だ!と感激する。インドでカレーうどんというのがおかしい!
 元気のなかった岡原も、インドの薬を飲んで、良くなったようだ。インドに来て一週間ごろがひとつの目安で、ほとんどの人が体調をくずすと聞いていたので、これも洗礼というか、通過儀礼みたいなものですね。
 私もワークショップが始まるころはしんどかったが、終わったら元気になった。
これからツアーの後半に入る。体調に気をつけて良い出会いを積み重ねていきたいと思う。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月7日):萩京子

10月7日(日)

 コルカタ公演当日。コルカタ以降は乗り打ち、当日仕込んでその夜本番となる。8時15分ホテル出発。会場のコルカタ音楽学校には8時半ころ到着。ピアノの調律は昨日終えている。442を希望したが440にしてほしいとのこと。オーケーオーケー。実際アコーディオンやピアニカなど決して442ではない楽器を使っているのだから、まったく大丈夫なのである。むしろ440で良いくらいだ。
 日本でこちらの会場の資料を見たとき、舞台の狭さ、天井の低さなど、なかなか困難な条件だと感じた。だが、舞台を使うのではなく客席のフロアを演技エリアにして、お客様をフロアと舞台上に、というアイデアを思いつき、道が開けた。そして、コルカタ音楽学校からも「日本からみなさんが来てくださることは神様からの贈り物だと思っています。」というメッセージをもらってしまったので、これは張り切らざるを得ない。




 コルカタ音楽学校がどのような音楽学校なのか、いろいろ想像していた。西洋音楽なのか、インドの伝統音楽なのか、その両方なのか。こちらに来てからわかったことは、西洋音楽の学校だとうこと。生徒の年齢層は幅が広く、例えば小学生は普通の学校に通いながら、音楽の勉強を週に何日かこの学校に習いにくるということのようだ。コンセルヴァトワールということのようだ。
 ホールは1階。2階のレッスン室が並んでいるその奥の部屋を楽屋として使わせてもらう。レッスン室からはショパンの「革命」を練習しているのが聞こえてくる。また昨日のワークショップに参加してくれたプロフェッサーの部屋からは不思議な歌のレッスンの様子が聞こえてきた。このレッスンの様子、大石さんに聞かせてあげたいと思った。
 当初コルカタではベンガル語の台詞を入れようと言っていたが、それは断念して、英語オンリーでいくか、ヒンディー語を入れるか悩んでいた。こちらに来て,領事館の久保田さんと相談して、ヒンディー語も入れることにした。ヒンディー語とベンガル語は構造の音もよく似ているようだ。
 丸2日ワークショップだったので、『ピノッキオ』は3日ぶり。はじめからていねいに稽古する。稽古の後、明日のワークショップに備えて、ソングの練習をする。
 音楽学校がご用意くださったサンドイッチを頂いて本番に備える。
 6時半開場だが、6時くらいからお客様が並び始める。開場を少し早める。
 桟敷席と椅子席がある場合、日本では大人はなかなか桟敷に座ってくれない。だから桟敷は子ども、大人は椅子に、と思っていたが、開場すると大人もどんどん桟敷に座ってくれる。それから靴をぬいでもらう段取りをちゃんとしていなかったのだが、インドの人たちはどんどん靴を脱いで、桟敷にあがって行く。靴を脱ぐことへの抵抗が西洋の人と違って、ないのだな、と感じた。
 お客様はどんどん増え続け、どんどん椅子を追加する。最後列は立ち見となった。予定以上の人数でエアコンもきかず、場内大熱気。およそ200人のお客様が入場。
 出演者は会場の外からドアを開けて登場する。ドアを開ける係は基金の土井さん!太鼓が鳴り始めてから3小節目にあけてくださいね、とお願いする。



 ぎゅうぎゅう詰めのなか、どなたも帰ることなく(インドではめずらしいことなのだそうだ。)大人もこどもも、皆さん、集中してみてくださった。やはりピノッキオとジェペットの再会では大拍手がわく。あんなに混んでいたから帰りたくても帰れなかったのでは、と思ったが、インドの人は帰りたくなったら絶対帰るとのこと。暑くて窮屈な中、熱心に終わりまで見ていただけて、ほんとうにうれしかった。



 川口総領事夫妻もご来場くださり、「とてもおもしろかった。日本での公演もぜひ見たい」とおっしゃってくださった。こんにゃく座のホームページも見てくださったようだ。ありがとうございます!
 終演後、お客さまと出演者が交流することも、海外公演のひとつの醍醐味だ。学校の先生をしている方から、コルカタに何日滞在するのか、ぜひうちの学校で公演してほしいと言われた。学校公演の注文だ!でも、私たちは明日チェンナイへ行かなくてはならない。
 大急ぎでバラシをして、11時までに入ればビールも飲めるという店に飛び込み、コルカタ公演の成功を祝う。コルカタ領事館の久保田さんも参加してくださった。私たちの衣裳の洗濯もしていただいた。感謝!

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月6日):萩京子

10月6日(土)

ホテル・パン・アジア・コンチネンタルでの目覚め。なかなかクラシックな感じのホテルだ。私は10時半からワークショップの通訳さんとの打ち合わせ。今日のワークショップはコルカタ音楽学校の学生が対象で、それは大学生くらいの年令とお聞きしていた。だから、少し専門性の高い内容が良いと、基金の土井さんとも打ち合わせしていたのだが、どうも年令は8歳から大人まで、それから一般の方も参加するという。ひょお!計画していた内容を少し変えなくてはいけない。でも昨日のデリーの小学校でのワークショップとは変えて、やはり少し専門的な内容も盛り込んでやることにした。
11時半全員集合、バスで出発。道中バスの車窓からコルカタの街を眺める。路上で生活している人がたくさんいて、圧倒される。物売り、商店の雰囲気もデリーとは違うなと思う。デリーの印象ももちろんエネルギッシュに感じたが、コルカタはもっとけたはずれにエネルギッシュだ。




コルカタ音楽学校に到着。犬が出迎えてくれる。音楽学校で飼っているのだろうか?首輪が着いている。インドの犬はかしこそうに見える。ジョジョという名前だそうだ。
音楽学校のホール。明日『ピノッキオ』の公演をする会場だ。明日の公演は舞台上ではなく、フロアで上演し、お客様にはフロアと舞台に座っていただくのだが、今日のワークショップは舞台上で行なう。ピアノはヤマハのC7、新しい。日本からの寄贈とのことだ。
ワークショップには8歳くらいの少年(音楽学校でキーボードを習っているとのこと)、白い制服を着た10歳くらいの女の子ふたり、大学生くらいの人たち、音楽学校の学生、一般の人、そして音楽学校のプロフェッサーも参加。
みなさん、こんにゃく体操も、「ピノッキオのテーマ」のリフレインを一緒に歌うことも、とても喜んでやってくれた。「ピンピンピンピン、ノンノンノン、キキキキ、オット、ピ、ノ、キオ」というところを一緒に歌う。動きもつけてやった。「オット」の前に、四分休符が入るのだが、「ビフォー、オ、ポウズ、プリーズ」で通じた。「ピ、ノ、キオ」のところも「キ」の前に休みが入るのでどうしても飛び出してしまいがちなのだが、「ビフォー、キ、ポウズ、プリーズ」で、うまく通じた。そのあたりのところは通訳なしで、萩がんばる。自分では覚えていないのだが、ついに「せえの~」とまで言ったらしい。
今日のワークショップでは、「ジャスト・マイ・サイズ」を例にとって、日本語の歌の特徴、ことばと音の関係を話した。「わたし」は英語では「I(アイ)」、1音節だが、日本語では「わたし」と3音節になること。「空」も「sky」は1音節だが、「そら」は2音節。歌にするとき、音がふたつになる、というようなことを話した。そしてその後、太田まりが歌った。「ジャスト・マイ・サイズ」は、大地、空、木々、花々、街、橋、道路、人々のくらし、等、単語がたくさん出てくるので、このようなワークショップの際のテキストとして良いなあと再認識した。



「ワークショップを終えて、遅い昼食。「キューピー」というベンガル料理のお店を教えてもらって皆で行く。素焼きのお皿やコップ、バナナの葉の上にいろいろ乗っている。デリーの食事とは趣の違うベンガル料理を楽しむ。



ホテルに戻りしばし休憩。岡原、まり、真理子さん、そして久ちゃんはマッサージに行く。私はお部屋で4日と5日の座日記を書く。
6時半に再集合。今日は総領事ご夫妻のお招きで夕食会。少ない旅仕度のなかで皆精一杯のおしゃれをして行く。佐藤ちゃんの赤シャツ、久ちゃんの紫のネクタイが大評判。川口総領事はとても気さくな方で、私たちが緊張しないでいられるよう、気をくばってくださる。奥様もすてきな方で、私たちは久しぶりの日本食を楽しんだ。食事の際、それぞれ自己紹介をする。皆がこんにゃく座との出会いを話すのをあらためて聞くと、それぞれたくさんの偶然の重なり、いろいろな奇跡的な出会いのなかでこんにゃく座に入ってきたのだなあ、と、私が今さらながら感動してしまった。
食事の後、歌を聴いていただこうということで、「夢の番人」「ピノッキオのテーマ」「ぼくたちのオペラハウス」を歌う。岡原のアコーディオン、真理子さんと私はピアニカで。真理子さんも私もお酒をきこしめした後なので、どうもすごい音量が出たらしい。
明日の公演をどうぞ楽しみにいらしてください、と総領事公邸を後にする。
コルカタ公演の前夜、早めの就寝。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月5日):萩京子

10月5日(金)

 今日は小学校でのワークショップを2回やってから、コルカタへ移動する。今日も朝7時半出発で、基金のニューデリー事務所に寄り、ワークショップのための練習をしてから、ムニ・インターナショナル・スクールへ向かう。



 日本語教育という側面もあり、『ピノッキオ』の場面を利用して、日本語の表現を伝えたり、「ピノッキオ」のテーマソングを一緒に歌ったり動きを覚えてもらったり、またこんにゃく体操も取り入れたワークショップの内容だ。学校にはピアノはないので、アコーディオンとピアニカ2台を駆使する。
 道中の車窓を楽しんでいたが、途中でミニバスの後ろのタイヤがパンク。タイヤの表のゴム皮(?)がはがれたらしく、しかし1部分はくっついているらしく、走るとバンバンすごい音がする。しばらくそのまま走行する。しかも渋滞に巻き込まれ、ヒヤヒヤの連続。そのうちタイヤの表面のゴムは完全にはがれたらしく、音はしなくなった。これで安心というわけではないが、とりあえず物騒な音はしなくなったので、どんどんそのまま走る。
 ワークショップの始まる時間ぎりぎりくらいに到着する。案の定、子どもたちはもうすでに会場に入っている。私たちは校長先生から熱烈な歓迎を受ける。子どもたちを待たせることに慣れていない私たちはあせってしまう。日本で私たちはいつも体育館で準備を済ませ、子どもたちの入場を待つ。だがここインドでは、子どもたちが私たちを迎え入れるべきだと考えられ、140人ほどの子どもたちが待つなかを、私たちはぞろぞろ入っていくことになる。
 この学校は日本語教育を取り入れているということで、子どもたちは「手のひらを太陽に」をウエルカムソングとして歌ってくれた。キーボードで不思議なインド的な副旋律が奏でられ、太鼓も入ってのインド風「手のひら~」だった。
 ワークショップではピノッキオとジェペットの会話、ピノッキオの名前が生まれる場面を子どもたちと練習する。「名前」「花」「鳥」「動物」「虫」「星」「人間」等のことばをローマ字書きにして、まりに描いてもらった絵を、見せながらやりとりした。




 子どもたちは元気よく声を出してくれて、ワークショップを楽しんでくれたようだ。最後にタージマハールのかたちをした置物(あるいはろうそく?)の贈り物をいただき、こちらからは『ピノッキオ』と『ぼくたちのオペラハウス』のCDをプレゼントした。60分ほどのワークショップを2回やった後、学校でお昼ごはんをごちそうになる。そして帰ることになると、子どもたちがやってきて、絵や折り紙のようなものなどを次々にくれる。

 そしてミニバスに乗り込み、空港へ向かう。なんとも忙しい。コルカタへは基金の土井さんが同行してくださる。国内線もセキュリティーはきびしく、女性も身体チェックがある。岡原は最近首のヘルニアで、むち打ち症の人がするようなコルセットを首にして、(多少デモンストレーションの意味合いもあり!)チェックに向かうと、なんと、なんと!係員から1ルピーもらった。これって喜捨?岡原って日本から来た芸能の神様? まりはトランクに入れるべきだった眉毛用のはさみを取り上げられてしまった。
 空港内でインドのビール、フォスタービールを300ルピーで飲む。実はこれがインドに来てからの初めての買い物。デリーに到着して1万円両替したが、今の今まで、一銭も使わなかった。ホテルと劇場を往復するだけのデリーの4日間を終え、コルカタへ向かう。



 約2時間のフライト。7時ころコルカタに着く。コルカタの空港はぴかぴかのデリーの空港とは違い、インドらしさを感じる。空港には領事館の久保田さんが待ち受けてくれていた。チャーターしてくれているバス(今度は大きなバスだった)に荷物を載せ、私たちも乗り込む。夜のコルカタの街を眺めながらホテルに向かう。コルカタは東インド。言語もベンガル語が中心となる。人々の表情や街の表情はデリーとは違って柔らかい感じがする。路上で生活している人もたくさん見かけるが、殺伐とした感じはしない。全体がデリーよりもゆったりした感じ。
 ホテルに着き、個人の荷物を部屋に入れるやいなや集合。昨日初日祝いができなかったので、みんなで近くのイタリアン+チャイニーズレストランに行く。キングフィッシャーというインドのビールで乾杯。デリーの公演の成功を祝い合い、これからの旅をがんばろう!と気炎をあげる。

ピノッキオ旅日記 in インド!(10月4日):萩京子

10月4日(木)

午前7時半、ホテルのロビーに集合。昨晩ホテルの一室に入れておいた『ピノッキオ』の舞台に必要な一切合切をミニバスに積み込んで、シュリラムセンターに向かう。
車窓から見るデリーの街の様子はたいへんおもしろい。街を歩く時間はほとんどないので、車窓からデリーの街を味わう。自転車に色鮮やかなたくさんのほうきを載せたほうき屋さんや、風船屋さんが走っていた。道ばたではチャイを売っている。太田まりが道ばたのチャイを飲みたいと言う。「やめた方がよい」という意見と、「沸かしているから大丈夫じゃないの」と言う意見がある。チャイ売りを見かけるたびに、「まり!チャイだよ!チャイ!」と言って笑い合う。



8時、劇場に到着。今日は午前と夜の2回公演。午前は7つの学校から子どもたちが見に来る。4年生ぐらいから中学生まで。いきなり学校公演である。基金の土井さんの作戦だ。客席に入ってくる子どもたちは目が大きくてキラキラしている。日本国内での学校公演と雰囲気は同じ。男の子がはしゃいで女の子に注意されたりしている。



10時半開演。岡原演じる大工の棟梁が「き、き、木が口をききおった」という部分をヒンディー語で「イエ ラクター ボルター ヘ」と言ったところで、客席は大喜び。苦労してヒンディー語と格闘して良かったね!子どもたちは英語の字幕を見たり見なかったり、好きなように見ている。まり演じる農夫の「番犬一丁できあがり!」も、ヒンディー語が大成功で大受け!最後にピノッキオが海を泳ぎ切るところは息をころして見てくれた。終わってロビーで子どもたちをお見送りする。「ありがとう」「さよなら」と日本語で声をかけてくれる子もいる。
インドでの『ピノッキオ』公演一回目が終わった。物語も音楽も歌役者のエネルギーもまっすぐに伝わった手応えがある。お昼を食べてから、菊地さんにヒンディー語のダメ出しをしてもらう。でももうあまり注意されない。菊地さんは歌役者諸氏のがんばりをほめてくれて、オペラ『ピノッキオ』そのものを楽しんでくださったようだ。夜の回には娘さんを連れてくるとおっしゃっていた。
夜の部までは時間があるので、ホテルに戻るグループと13日に再びデリーで別の劇場で公演するので、その劇場の下見に行くグループに分かれる。
私は舞台監督の森下さん、照明責任者の佐藤敏之、制作の土居麦、基金の土井さんと共に下見に参加する。行き先はナショナルドラマスクールの劇場。2001年のロボット公演の際、ナショナルドラマスクールでワークショップを行なったことを思い出す。客席数336人の、『ピノッキオ』にちょうど良い劇場だ。しかも奥行きがたっぷりある。照明の設備など説明してもらい、下見を終える。ピアノの搬入経路も確認する。
ホテルに戻り、私は10月2日と3日の日記をやっと書く。(これを書いているのは実は6日!)やらなくてはいけないこと、考えなくてはいけないことが山積みで、日記が2日遅れとなってしまう。このデジタルなご時世に、やっていることがアナログだらけで、あたふたしている。ツアーメンバーはツィッター、座日記、フェイスブック等、リアルタイムでどんどん報告してくれているようだ。
さて、4時半に再びホテルを出発し劇場へ。夜の部は7時開演。お客は何人来るか、ふたを開けてみないとわからない。情宣だけでどれだけ入るか、ひとつの賭けだということだった。結果はなんと満席!親子連れがたくさん。学生やいわゆる大人のお客もたくさん来てくれた。
開演するとすばらしい反応である。ヒンディー語のセリフには温かい大拍手。演出の工夫をすべて理解してくれて、ひとりの役者が役をどんどん変えていくところを、目をこらして見てくれている。お化けのところも受けたし、くじらの幕のところでも「オオ!」という声とともに拍手。ピノッキオとジェペットおじいさんの再会でも拍手。ろうそくを持ったジェペットがくじらの黒布の間から現れるとため息が聞こえ、「やっと会えたんだね」という気持ちが会場いっぱいに広がる。そういう瞬間に立ち会うと、こちらも心が震えてしまう。
そうそう、にわとりどろぼうの場面の後、ピノッキオがさすらって歩き続けるところで、コウモリ(多分)が舞台に2回ほど登場した。ピューッと飛んで来て一度袖に引っ込み、またピューッと舞台に出てきて旋回して退場していった。引き際の鮮やかなコウモリくんだった。
終わったらスタンディングオーベーションとなった。観客は通路にもあふれ出て、熱烈に拍手してくれる。作曲者は舞台に出ていくのに、人をかきわけなければ進めない状態となった。こんな思いがけないことも、とてもうれしい。




ロビーでお客様をお見送り。とても良かった、とたくさんの人が声をかけてくれた。興奮さめやらないまま、さてさてバラシのお時間である。



次の公演地コルカタへ行くために、また飛行機に乗らなくてはいけないので、重量を気にしながらの完全なパッキング。バラシ、積み込みが終わったのは10時半だった。
ホテルに戻り、普通だったらここから初日祝いに出かけるところなのだが、11時すぎてしまいお酒の飲める店もあまりないということで、あきらめる。ホテルの部屋で、成田で買ったワインの最後の一本で乾杯。

ピノッキオ座日記 10.4 インド公演初日! 久司

インド公演、とうとう初日です!
そして、先ほど1ステージ目を終えたところです!
こちら、ニューデリーの時間はただ今14時40分、日本時間では18時10分です。
本日の公演会場はニューデリーのシュリラムセンター。2001年に「ロはロボットのロ」を公演した場所でもあります。


門の前で。いよいよだーっ!

1ステージ目は市内の7校の学校の生徒さん達が集まって観に来てくれるそうです。どんな反応をみせてくれるのか・・・!


開場直前。円陣を組んで気合を入れます。

嬉しいことに客席1階、2階ともたくさんの生徒の皆さんで埋め尽くされました。



公演が始まると最初の大工のシーンなどは殆ど日本と変わらない反応のように感じました。
そして嬉しいことにヒンディー語も伝わってるようです!
これはもう楽しむっきゃありませーん!!


シャボン玉も皆さん大喜びです!

皆さん、リラックスして最後まで楽しんでいただけた公演だったと思います。
ヒンディー語も異常に大うけでした。
(ピノッキオが初めて海を見て「これが海かー」と言ったり、おじいさんと再会して「おじいさんだー」とつぶやいたりした時でさえ、笑いが起こりました。)


公演後、皆さんをお見送り。第3外国語として日本語を学習しているそうで、殆どの生徒さんが「さよなら」「ありがとう」と日本語で挨拶してくれました。

さて、これから2ステージ目です。
次のお客様は一般のお客様です。開演は19時。日本時間だと22時30分!
引き続きピンピン旅してまいりまっす!!