ピノッキオ旅日記 in インド!(10月11日):萩京子

10月11日(木)

プネ公演当日。朝8時半にホテルを出発。会場であるティラク・シュマラク・マンディール劇場へ向かう。デリーから、基金のラジェーシュさんが朝早い飛行機で応援に駆けつけてくれた。劇場ではボランティアの女子大生8人が待っていてくれた。みんな美人でかわいい。男性諸氏、目がキラリとなる。



みなさん日本語を勉強している学生で、何年も勉強している人もいれば数ヶ月の人など日本語のレベルはいろいろである。ご挨拶をして自己紹介をする。彼女たちはネームカードを首から提げているが、パッと読めないので、私が白いガムテープにカタカナで名前を書いて胸に貼ってもらう。胸にガムテープで名前を貼るのは国内のワークショップでおなじみなのだが、ガムテープを胸に貼ったりしてごめんね、という気持ちもある。だが、貼ってあげると、彼女たちがみなていねいに「ありがとうございます」と言うので、なんともキュンとした気持ちになる。
ルパルさん、アンキタ(オンキタ)さん、サヤリさん、ドゥルガさん、ダルシャナさん、ミナクシさん、ヴィジャヤさん、アムルタさん。(あとから他の方もいらしたかもしれないけれど、以上8人のお名前しか記録してなくてごめんなさい。)
男性のボランティアはハルシャドさん。ご自分で「春」に「車」に「道」です。とおっしゃる。彼とは昨日、サテさんの教室でお会いした。
女子学生のみなさんに、こんにゃく座側のメンバーの名前も貼って、と言われ、「HAGI」「OKA-CHAN」「SATO-CHAN」「KYU-CHAN」「MARI-CHAN」「MUGI-SAN」「MORISHITA-SAN」と書いて皆胸に貼る。真理子さんと蘭さんは後からの到着なので、以上7名。私は「はぎさん」と呼んでもらったが、ガムテに「さん」をつけるのを忘れた。
なぜ、「ちゃん」という人と「さん」という人がいるのですか?「ちゃん」はちいさな子どもにつけるのではありませんか?とするどい質問が来る。「これはニックネームのようなものです。私たちは仲が良いから「ちゃん」と呼び合うのですよ。」というようなことを答える。
お昼ごろ、サテさんがお手製の、なんといったよいのか、ピアニカをハルモニウムに変身させる楽器とでもいうようなものを持ってきてくれて、私たちにプレゼントしてくださるという。ハルモニウムはインドの手風琴で、片手で蛇腹を動かし、片手で鍵盤を扱うものだ。サテさんの持ってきてくれた箱状のものの内側に、ピアニカの口を差し込むところがついている。そこにピアニカの口を差し込めば、蛇腹を動かして音が出る。なんとピアニカがハルモニウムに変身するのだ。サテさんの発明だから「サテモニウム」と名付けることにする。(私の勝手な命名です。)
仕込みを終え、お昼ご飯を食べ、1時半くらいから、舞台稽古を始める。マラーティー語のセリフをアトレさんにチェックしてもらいながら、進めていく。アトレさんはとても流ちょうな日本語を話す方だ。日本で6年間仕事をしていたという。練馬に住んでいたとのこと。今日は、日本語、英語、ヒンディー語、マラーティー語を駆使した1回きりの公演だ。日本人には「R」「L」の区別が難しい。「R」だったらとりあえず舌を巻いて言えば通じるかといえばそうもいかないようで、なんだか無数の「R」と「L」があるような感じである。私たちには同じように聞こえる言葉が、とんでもなく違う意味になってしまう。「それは違う意味になってしまいますねえ。うんこという意味になってしまいます。」とか言われると皆で大笑い。でも時々は「すばらしいです。完璧に通じます。」と褒めてもらえる。



さて、6時開場。日本語であいさつをしてくれるお客様がたくさんいる。劇場のキャパは900で、何人くらい集まるか蓋を開けてみなければわからない、ということだったが、400人くらいの入場者となった。
開演前に舞台上でティラク大学の学長のごあいさつがあり、花束贈呈のセレモニー。学長さんがプレゼンテーターで、私と基金の松岡さんがいただく。それからアトレさんが英語とマラーティー語を交互に、前説。写真、ムービー、携帯の着信音のこともしっかり「ダメです」と伝える。アナウンスだけではだめで、姿が見えないと聞いてもらえない、ということなので、今回アトレさんに舞台上から言ってもらった。そしてボランティアの学生のみなさんも客席に立って、気を配ってくださっていたので、今日の公演はたいへんすばらしいマナーだった。じつにじっくりと、ものすごい集中力で見てくださった。マラーティー語のセリフには、クスクス・・・と言った笑い声や、ドカンと受けるところや、場面に応じての反応。おもちゃの国では大変な拍手。今回インドツアーに向けて、おもちゃの国をにぎやかに楽しくするために、演出の伊藤多恵さんがいろいろ工夫してくださった。予算がないので、100円ショップの不思議なグッズを駆使して、軽量で不思議な道具をこしらえた。それが大成功したのだ。多恵さんにこの歓声を聞かせたいなあ。プネのお客さまはおもちゃの国で、大喜びしてくれましたよ!



私は今日は前から3列目で見た。いつも後ろの方で見るのだが、前の方というのはいろいろ良く見えておもしろい。くじらがピノッキオを飲み込む場面は、やはり客席全体から「おお!」という声があがり、拍手が来る。その後、くじら布を持って後ろ向きに立っている岡原がなんだか笑っているように見えた。後で聞いたら、くじらに飲み込まれたピノッキオ(久ちゃん)を再び前に転がり出させるとき、ロバになった子どものかっこうの佐藤ちゃんが久ちゃんを押し出してあげるのだが、そのとき、勢いあまって久ちゃんをなぐってしまったそうだ。ピノッキオの久ちゃんはそのとき「痛っ!」と言ったそうで、岡原はおかしくてたまらなかったらしい。しかもくじら布の後ろでジェペットに早変わりする佐藤ちゃんは、動揺したあまり、ロバのしっぽを取り忘れてそのまま出そうになったらしい。
幕の後ろでも、毎日たくさんのドラマが繰り広げられるのである。
 終演。たいへん熱烈な拍手をいただいた。舞台上で、ティラク大学の学長が、出演者と制作の土居麦と、舞台監督の森下さんに花束をくださる。出演者が花束をいただくことはお聞きしていたが、スタッフも、ということはお聞きしていなかったのでどぎまぎしつつも、麦と森下さんは舞台に出てきて花束を受け取る。
舞台監督の森下さんは字幕操作で舞台奥下手に張り付いている。それから制作の麦は上演中はもっぱら照明係。しかもこのティラク公演では、オーケストラボックスというかなんというか、舞台前方の穴の中で操作していたのであった。
ロビーでお客様をお見送り。そこでもみなさん口々に「すばらしかった」「おもしろかった」と声をかけてくださる。客席に残っている人もたくさんいた。小学生の女の子に「私の学校に来て公演してください」と言われた。またまた学校公演の注文だ!もっと長く滞在できれば、学校公演もできたのだが、残念だ。新聞の取材もあった。海外公演の時に思うことは、アジアでもヨーロッパでもそうだが、報道陣が積極的でエネルギッシュなのだ。おもしろい記事を書いてくれることを願う。
 バラシもだんだん早くできるようになってきた。ふと見ると、私たちのバラシの間、10人がかりでずっとピアノの梱包作業をしている。その得も言われない状況のおもしろさをうまく伝えることばがない。プチプチでピアノをぐるぐる巻きにしている。ピアノ運搬のノウハウをヤマハさんはインドの人に教えてあげるべきである。そうそう、書き忘れたが、コルカタ音楽学校では日本の学校公演ではおなじみのピアノおろしがあった。こんにゃく座の技術がものを言った。
 バラシが終わり、楽屋に集まる。アトレさんがビールを買ってきてくれた。アトレさんは日本人が打ち上げ好きだと言うことをご存じだ。ありがとうございます。楽屋でプネ公演の成功を祝って乾杯。
 そしてホテルに戻って、レストランであらためて乾杯。コーディネートしてくださった田邉さんと三國さんもご一緒に。サテ先生はご自宅にお客様がお出でになるということで、劇場でお別れした。ほんとうにお世話になりました。
明日はなんと朝5時半出発だ。

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