ピノッキオの現場より 舞監クスダ



東南アジア最後の佐藤

ふなばし4公演終了! :うーぽむ

今船橋からトラック帰りました!!
ふなばし演劇鑑賞会さんの4公演が終わりました!!バラシも大勢の方がお手伝いしてくださり、本当に助かりました。ありがとうございます!!
大入袋が出るほど、たくさんの方にみていただけましたw
いや~大入袋って嬉しいですね。前回の例会から、会員さんが7名増えた!ということで、私たちもとても喜びました。



恒例ロビーコンサート。前の旅よりちょっと痩せた(ハズ)楽士さん



お茶場にて出番待ち女子2名(マリ&パナ)



同じく出番待ちの村人2名(ヒカル&アチャヤン 同い年コンビ!若!)



さて、明日は町田、あさっては松戸と、まだまだこれからのフィガロ!!
がんばっておりま~ス。ピノッキオ組には負けないゾ!!

ピノッキオの現場から・ラオス最終報告! 萩京子

5月30日(水)

歌役者諸氏は、ラオ語のセリフの勉強をしつつ、ゆったりと半日を過ごしたはずである。
基金の内田さんと、山崎、萩の3人は、昨日ワークショップを企画してくださった
ラオス日本センターの施設を見学に行く。
日本センターの花園千波さんが迎えに来てくださって、朝9時出発。
ホテルからそう遠くはない。
そもそもビエンチャンの町がそんなに大きくないから、どこへ行くにもそれほど遠くないのかもしれない。
日本センター(ラオス日本人材開発センター)は、ラオス国立大学の膨大な敷地の一角に、
経済学部の建物と隣接して建っている。
この経済学部の建物と日本センターを、日本の資金で建設したということだ。
ラオス日本センターには、ビジネス教育、日本語教育、
文化交流という3つの柱があり、日本に関する文献を集めた図書館や、
パソコン実習室など、充実した施設内を、佐藤幹治所長(チーフアドバイザー)が案内してくださった。
ラオス大学の学生が積極的に利用している様子である。
午前の早い時間なのに、大勢の学生が来て勉強していた。
「次回、ラオスに来たときは、ぜにここで公演してください」と、見せてもらったホールは、
フロアも広く、後方は階段になっているので見やすいだろう。
300人以上収容できる。
『ピノッキオ』をここでやることも可能だ。
街中から少し離れているので、一般の人は来にくいだろうが、
ラオス国立大学の学生に見てもらうことが可能である。
所長の佐藤さんとお話していると、すぐ次のラオス公演が実現できるような気になってしまう。
まだ今回の公演が終わってもいないのに(!)
ラオスには、「ロミオとジュリエット」と同じ物語が語り継がれているので、「ロミオとジュリエット」を上演すれば受けること間違いなし、
とか、「一休さん」とよく似た話もあるので、それを題材にオペラを作ったらどうか、とか、
どんどん話が盛り上がってしまうのだった。

日本センターを後にして、次に、市場に連れて行ってもらう。
ホテルから歩いてもいかれる距離にあるタラート・サオという市場。
市場へ行く途中、タート・ルアンというラオスのシンボル的な黄金の塔に立ち寄る。
正方形の塔をぐるっとひとまわりするうちに、にわか雨が降ってきた。
雨はすぐにやみ、さて市場。
ラオスの市場はおっとりしている。
「らっしゃい、らっしゃい!安いよ、安いよ!」というような呼び込みがない。
商品を見ていると、ニコニコとそばに来る。
座員へのおみやげなど、おみやげリストを片手に、汗だくになって買い物。
ラオスの通貨はキップだが、ドルも通用するし、タイのバーツもOK.
「いくら?」と聞くと、何ドル、と答えてくれる。
私たちはドルを持ってきていないし、キップにも両替しなかったのでバーツで支払う。
ドルだといくら。キップだといくら。バーツだといくら・・・・。
ラオスにいる間中、この3種類の通貨の数字が、頭の中をグルグルした。

お昼は地元の食堂でカオピックという餅米の麺を食べる。
タイでもそうだが、テーブルの上には、唐辛子、お酢などとともに、砂糖がおいてある。
コーヒー用ではなく、料理に入れるのだ。
こちらの人たちは、運ばれた料理にこの3種類をかけて、辛く、酸っぱく、甘くして、食べるのある。
地元のやり方にしたがうのがモットーだけれど、どうもまだ、お砂糖をかけて食べる、ということはやれていない。
唐辛子と黒酢をかけて食べた。
おいしかった。

13時に劇場入り。
準備をして、16時から通し稽古。
昨日も今日も、衣裳をつけず、稽古着のまま通しをしたので、
通訳のサリさんが、「衣裳はあるのですか?」と心配そうに聞いてきた(笑)。
そして最後のセリフのチェック。
通訳のおふたりに、「たいへんよくなりました」と、誉めてもらって、
いよいよ本番。

アジアツアー最終ステージ。
ラオス・ビエンチャン公演。
会場は1300人収容のラオス国立文化会館。
最前列はVIP席。
桂日本大使ご夫妻、ラオスの情報文科省の副大臣、カンボジア大使、韓国大使、中国大使・・・・・・・など、
まあVIP席が足りなくなるほどたくさんのVIPが家族連れでご来場。
こんなことはラオスでもめずらしいことだそうだ。
私たちも、こんな状況は初めてである。
「『森は生きている』の宮殿の場面だと思えばいいよね」などと
ばかなことを、舞台の袖で言い合っている。
一般のお客様の入りも上々で、一階席(約1000席)が8割方埋まった。

これまでの国では、「ピノッキオ」のものがたりは、一般的に知られていたが、ラオスでは知られていないとのこと。
開演前に、通訳のワンさんがかげマイクで、あらすじを紹介した。

さて開演。
ラオ語の反応も上々で、とても良い感じで進んでいった。
オペラをはじめて見る人がほとんどだが、外国人の観客もたくさん来ていた。
オペラ、ということで興味を持ってくれたのだろうか。
だから、客席からはいろいろな反応があった。
最後に、人形である4人の歌役者がドンゴロスのなかに入り、ピノッキオの手だけが「バイバイ」をする。
客席からは大きな拍手。
一同礼をすると、「ブラボー!」も聞こえた。

クアラルンプールで幕を開け、ジャカルタ→ハノイ→バンコク→ナコン・ラリャシマー→コーンケン→ウドンタニ、
そしてビエンチャンと旅してきた。
ハノイあたりまでは、作品が立ち上がっていく過程と言えるだろうか。
そしてバンコクからの旅で、少しずつ自由になってきたと思う。
各地の言葉と格闘しながら、ここまで来た。
感動的なラストステージだった。
みなさん、お疲れ様ー!

そして最後のパッキング。
ラオスから日本への直行便はないので、バンコクに一度立ち寄り、日本に帰る。
完全なパッキング。
23時ころ劇場を出る。
斜め向かいのホテル(徒歩1分)まで、車で送ってもらう!
さて、それからホテルの部屋で、打ち上げ飲み会。
日本センターの花園さんも参加。
基金の内田さんはワインを赤白2本、用意してくれていた。
ラオスはフランスワインが豊富で、しかも安いのです!
飲んでしゃべって、話はつきない。
でも明日の出発は早い。
午前2時ころ、おひらき。

アジアツアー13ステージ、無事終わった。
一同、大きな病気もケガもなく、ここまで来ることができ、本当によかった。

仕掛け人の内田さん、ありがとうございました。
そして、各地でお世話になってみなさん、
日本で応援してくださったみなさん、
日本で活動している、こんにゃく座のみんな!
ありがとう!

ピノッキオの現場から・ラオス 萩京子

5月29日(火)

今日は、岡原と萩は、ラオス日本センターがセッティングしてくれた、
ラオスナショナルシアター、ラオスオペラシアター&ラオスパペットシアターとのワークショップに出かける。
ラオス日本センターの正式名称は、「ラオス日本人材開発センター」で、
JICAが運営している。
JICAとは、独立行政法人国際協力機構。
ラオスには、国際交流基金の事務局がないので、今回のこんにゃく座公演に関しては、
日本大使館が全面的に協力してくれているのだが、日本センターも協力の名乗りを上げてくれた。
国際交流基金の事務局が無い国では、日本センターが、国際交流基金と同じ役割を
果たしているそうだ。
カンボジアやミャンマー、ウズベキスタンなどでも、日本センターが日本文化を紹介している、
とのこと。

ワークショップは、午前9時から、ラオスナショナルシアターの稽古場でおこなわれた。
上記各劇団の劇団員が30名くらい参加してくれた。
ラオスオペラシアターという名称だが、その「オペラ」は西洋オペラではなく、
ラオスの伝統的な歌芝居である。
はじめに、ラオスオペラシアターの成り立ちについてお聞きした。
1992年に設立され、現在劇団員は40名ほど、というところは、こんにゃく座と似ていなくもない。
劇団は5つの部署から成り立っていて、①計画部(これは企画制作+文芸部にあたる)
②演技部③音楽部④演出部⑤事務局、となっている、というようなお話を興味深く聞いた。
ラオスの若い人たちが、タイから入ってくる新しい文化に興味が行ってしまって、
ラオスの伝統文化にどうようにして興味を持ってもらうか、という点で苦労
されている、とのことだった。

次に、こんにゃく座について、私が話をした。
そして、ソングを何曲か演奏。
(岡原のアコーディオン、萩のピアニカ、という編成でできる曲を、昨日ホテル
で練習したのだった!)
それから、こんにゃく体操を一緒にやり、最後に、『ピノッキオ』のテーマソングを歌唱指導した。
「ピ」「ノ」「キ」「オ」という音を表すラオ語の文字を紙に書いてもらい、、
それを指し示しながら、ことばあそびで成り立っている「ピノッキオのテーマソング」を
歌ってみせると、あっという間に一緒に歌うことができた。
その後、ラオスの伝統的な歌芝居と、人形芝居の一場面も見せていただいた。
このような機会を、ラオス側のみなさんはとても喜んでくださった。
私たちも、ラオスの舞台芸術にふれることができて、とてもよかったと思う。

昼食後、公演場所であるラオス国立文化会館へ行く。
岡原、萩以外のメンバーは、午前10時から仕込みをしてくれていた。
大きい!
キャパは1300くらい。
今ツアー最大の広さである。
仙台の宮城県民会館などに似ている。
なつかしい感じです。
会場の音の響きは悪くなさそうである。
ただ、ピアノの状態が悪い。
ヤマハのS4。
何をどうしたら、このような状態になってしまうのか、というほど、弱り切っているピアノである。
当初、弦が3カ所切れていたので、日本から弦を送り、張り替えてもらった。
新しい弦はピカピカで、他の弦はさびている。
でもピアノがあるだけでありがたい、と、思うことにする。

13時から、場当たりを兼ねて、ラオ語のセリフを通訳のワンさんとサリさんに
チェックしてもらう。
それが17時くらいまで。
まあ、このへんで、今日はおしまいかなー、と思っていると、歌役者諸氏が「通しをしよう」と言い出す。
明日の本番前も通したい、と言う。
通してやらないと、ラオ語のセリフが心配なのだそうだ。
わかりましたー!
やりましょう!
そして、通しで鳴らないピアノと格闘するうちに、なんだか少し鳴ってきたような・・・。
20時ころ劇場を出る。
朝、ワークショップをやって、夜、通しをやって、私はもうクタクタです!
でも、残すところ明日の1公演のみ。
がんばろうね!

ピノッキオの現場より・ラオス写真編 制作あき

ラオスへの道




ウドンタニからラオス国境まで40分くらい。
その間に事前学習する岡原。勉強熱心なのはいいが、このリラックスぶり!
すっかり現地の人です。




さて!これからボーダー(国境)越えだ!
ラオス大使館の車がタイまで入国してくれていたので、荷物をトラックに移し替えます。
舞台監督の久寿田さんと基金の内田さんが積み込みしている姿は壮観。




イミグレーションでビザ待ちの人々。どこに電話してるの?萩さん。
岡原が来ている黄色のポロシャツはタイ人なら必ず持っているアイテム。
やはり現地の人。



ラオス無事到着。メコン川の夕日。
対岸はタイです。時間が雄大に流れていきます。

ピノッキオの現場より・ついにツアー最終地ラオス到着! 萩京子

5月28日(月)

タイからラオスへ移動する日。
タイ東北地方の旅を共にしてきた、基金のドアンチャイさんとラワンさんは、飛行機でバンコクへ帰る。
朝8時にお見送り。
また数日後にバンコクで会えるものの、お別れはちょっともの悲しい。
タイのウドンタニという場所で、タイ人のおふたりのお見送りをする、というのも、なんとも不思議なものである。
私たちは10時にホテルを出る。
国境の町、ノーンカイまでは、1時間くらい。
まっすぐな道が続いている。
メコン川を渡り、国境を越えるのである。

まず、タイ側で出国手続き。
タイ側まで、ラオスの日本大使館の小野寺麻希子さんが迎えに来てくれていた。
ラオスのトラックに荷物を積みかえる。
タイでの荷物を運んでくれた運転手のナットくんともここでお別れ。
それから、私たちを運んでくれたチンダーさんともお別れ。
(チンダーさんとは、またすぐバンコクで会える!)
そして今度は、ラオスへの入国手続きをすませ、一同、ラオスの日本大使館が用意してくださったバンに乗り込み、国境を越える。
メコン川にかかる橋の名前は「友好橋」。
タイ側と橋の上は左車線。
ラオスに入ると右車線になる。
ビエンチャンまでは、すぐだった。
とても静かな街。
ラオスの人口は北海道と同じくらい。(600万弱?)
土地の面積は本州と同じくらいだそうである。

お昼前にホテルに着く。
ホテルのすぐそばに、公演場所であるラオス国立文化会館が見える。
立派な建物である。
中国政府の援助で建てたのだそうだ。
今日は会場を見ることはできない。

お昼はホテルの近くのレストランで、ラオス料理を食べた。
竹の籠に入ったもちごめのご飯。赤米と白米、めでたく紅白二色食べた。
タムマークフン(?)という、パパイアを千切りにしたサラダやソーセージ。
いきなりラオス料理を満喫した。

午後の時間はラオスの言葉、ラオ語の勉強。
それから、岡原と私は明日行うワークショップの打ち合わせなど。

そして夜は大使公邸での夕食会があった。
問題は服装である。
一同、旅の服装と言えば、仕込みをしたり、体操をしたり、動きやすいカジュアルなものばかり。
それでも、とにかく持ってきている服の中で一番きれいなかっこうをしていこうと、アイロンをかけるやら、道中で買ったスカーフを巻き付けるやら、いろいろ
工夫したのであった。
メコン川沿いに建つ公邸の庭からの眺めはすばらしかった。
川の向こうはタイなのである。
メコン川の向こうに、真っ赤な太陽が沈んでいった。
お料理は、長旅の私たちを気づかってくださって、たいへんうれしい日本料理だった。
大使公邸での夕食会なんて、私たちはなかなか経験できることではないだろう。
桂大使といろいろお話できて、楽しかった。
今日もまた、未知の世界に一歩足を踏み入れた気がする。
お礼に歌を数曲歌って、大使公邸を後にしたのでした。

ピノッキオの現場から:萩京子

5月27日(日)

ウドンタニ公演。昼夜2回。タイ最後の公演である。
ウドンタニ・ラチャパット大学の講堂。

一昨日の公演場所は、ナコン・ラチャシーマーのラチャパット大学だった。ラチャパット大学、というのは、国立の、国王の大学・・・というような意味である、とお聞きした。
ここの大学構内はとても広い。その中のひとつの平屋の建物が講堂である。
8階でなくてよかった!
明日が入学式ということで、黄色と白の幕が舞台に張ってある。土日は、社会人のための大学となっているそうだ。

今日の会場は冷房がよくきいている。が、すさまじい音である。しかし、とても消そう、という気持ちににはなれない!
照明器材が少々あったので、照明づくりに2時間くらいかかる。(一昨日と昨日は、蛍光灯の明かりの中でやった。)
今日の公演は大学がサポートしてくれているので、、大学生が見るかと思ったら、そうではなくて、観客はまったく一般のおとなと子どもだった。ここの土地では、演劇公演もほとんどなく、外国から来た団体の公演など、初めてのことだそうだ。だから、演劇を見るのが初めてという人が、ほとんどだという。

観客は自然体で、リズムに乗ってくれたり、笑ってくれたり、タイ語のセリフに対しては、復唱してくれたり(!)、『ピノッキオ』という作品を大いに楽しんでもらえたと思う。
「日本から来たオペラ劇団」ということはもちろん承知したうえで、そういう枠組みより、いまここでおこなわれていることを、丸ごと受け入れて楽しんでくれている、と感じた。
私たちも、このタイ東北ツアーを通じて、海外公演という気負いがどんどんなくなっていった。全身で表現することによって、『ピノッキオ』というオペラを観客とともに楽しむことができるようになっていった。私たちも作品も、少しづつ成長しているように思う。

ナコン・ラチャシーマー→コーンケン→ウドンタニ、と3カ所行動を共にしたピアノ(ヤマハのC3)、調律師さん、ピアノ運搬の方たちとも、ここでお別れである。
ピアノと共に旅をするなんて、初めての経験だった。
目黒で修行したことのあるという調律師さんと、ピアノの前で記念撮影する。(私だけです!)ピアノくんも、毎日脚をはずされ、車に揺られ、ご苦労さまでした!

さて、道具、衣裳等のパッキングは、飛行機に乗るときのような、梱包の気の使い方はしなくてよいが、明日は国境を越えるので、5つのドンゴロスの袋に何が入っているか、リストに合わせてきちんと入れる。
パッキング終了後、舞台袖で、基金の内田さんが買ってきてくれたビールで乾杯!それから、大学側がセットしてくれた夕食会。その夕食会にはビールはない、という情報だったのだが、私たち一行がビールが大好き、というウワサが伝わっていて(!)、用意してくださったようだ。なんという幸せ!

タイでの公演は全部で5ステージ。
今日の夜の回が一番よかった、と内田さんが言ってくださった。タイ語もどんどん上手になってきた、とのことである。そのタイ語も今日でおしまい。
残るはラオス。
ラオ語ですよ!

ピノッキオの現場より 舞監クスダ


岡原の日記に書いているタイの病院でもらった薬がこれ。


ハノイの佐藤



そしてタイの佐藤

ピノッキオの現場より・タイ写真編 制作あき

タイでは4ヶ所5ステージ公演。
バンコク→コラート→コンケーン→ウドンタニと移動。


バンコク基金ホール本番。こんな天井の低い場所でも公演出来ました!
見えないのですが、最前列は桟敷席になっています。




ナコンラチャシマー(コラート)でのピアノ搬入。
ジャージの人たちは軍人さん(の卵)です。タイは徴兵制があるのです。



コンケンの県知事と、基金内田さんとドュアンチャイさん。
VIPの座る席はなぜか必ず革張りのソファーが上手か下手に用意されている。
舞台にたいして直角なので観にくいと思うのだが。。。



ウドンタニで明仕込み対決。さとちゃんの勝ち!久々に照明を仕込んだ気が
するな~。



ウドンタニラチャパット大学の方々と一緒に。

ピノッキオの現場から:萩京子

5月26日(金)

コーンケン公演。
朝8時45分、チェックアウト。ホテルの外(青空の下)で、絹製品を売っている。みんな、群がって物色。とても安い。
ジム・トンプソンは、この地で、絹物の商売を始めたのだという。

さて、本日の会場は、このツアーで唯一、図面もなにもなく、どういうホールかまるでわからない、謎の会場である。
どんなところだろう、と一同ドキドキしながら向かう。「ここです」と、言われたその場所は、まさに町の公民館。イスが200くらい、並べてある。窓から外の光が入り、客席は暗くならない。体育館で、暗幕を閉めないでやる、という状態。舞台にはヘリがあって、そこが30cmくらい高くなっている。つまり、舞台全体が浅いプールのようなのだ。
タイの舞台がなぜそなっているか、というと、足元を見せないためなのだそうだ。頭はとても神聖な部分。足元は不浄な部分。だから、足元はみせたくないのだ。
ヘリの幅が30cmくらいある。そこに乗ることはかまわないようなので、足元の演技で見せたいものは、そのヘリの上でやることにする。
それから、ダンス場面などでも、ピノッキオはヘリに立って踊ったり・・・。
さて、一番難儀なことは、クジラの場面である。舞台の奥行きは2間くらい。しかも舞台の前面は高くなっているので、大きな布の処理が難しいのである。さまざま、工夫をこらし(この、現場力がすばらしい!)、なんとかやれるようにする。
これで、この作品は、どんな場所でも公演できる、と自信を持って言えるようになった。

こんにゃく座は、行く先々、どのような場所も一日だけのオペラハウスに!、がモットーではあるが、どこでも、というわけには実はいかないのであって、広さ、高さ、設備等の必要条件がある。この『ピノッキオ』は、限りなく条件がゆるい、ということである。

今日の会場の名称は、「コーンケン・ソサエティ・シビル・コミュニティー・ホール」、コーンケン市民会館ということになる。
観客はいくつかの学校から集められた10~12才の子どもたちがほとんどで、大人も少し。開演前に、民族衣装を着た子どもたちが、踊りを踊ってくれた。
『ピノッキオ』本番中は、大変暑かったが、会場は大いに沸いた。
岡原演じる、太鼓つくりの親方が、ロバになったピノッキオのことを「いくらだ?」と聞くと、会場から「5バーツ!」という声。(15円くらい!)「いくらだ?」「もっとまけろ!」「よし、買った!」というセリフは、各国の言葉でやっている。
井村ピノッキオ、15円。安いね!

夕方は時間があいている。
公演をサポートしくださているパジョンキットさんの別荘のようなところにご招
待される。そこは、果樹園の中に庭園があって、瞑想できる空間がいたるところにある。大きな木に囲まれて、とても気持ちがいい。からだも楽になり、ホッとする。
歩きながら瞑想するための道があり、両脇には木がまっすぐに並んで植えてある。道は30mくらいはあるかもしれない。なにせ広い庭である。そこをまっすぐに歩いてみた。心が洗われるような、気がした。
そして夕食をごちそうになって、すっかりくつろぎ、19時すぎ、コーンケンを後にした。

ウドンタニへ向かう。バンコクから562km。
北へ北への旅である。
21時半ころ到着。ウドンタニは雨だった。
ベトナム戦争中は基地の街だったという。
明日はどんな公演になるだろうか?

ピノッキオの現場から:萩京子

5月25日(金)


公演場所は、ラチャパット大学の講堂。ピアノの搬入が午前9時。
パリタさんのご主人が、若い兵士を連れてきてくれていて、ピアノと道具の搬入を手伝ってくれる。ピアノはヤマハのC3だった。エレベーターの奥行きがないので、入れたり出したり・・・、縦にしてやっと入る。
よかった!と思っていると、3階まで上がったところで、降りてきてしまった。
重すぎるのか?
ピアノをささえている人がふたり乗っているだけだが、その人たちは降りるわけにもいかない。もう一度チャレンジしてみたら、めでたく8階まで上がってくれた。めでたし!

控え室というものがないので、客席で24日の分の日記を書き込む。昨夜のホテルはインターネット環境が整っていなかった。いつ送信できるかな?
客席はまあまあエアコンがきいているが、衣裳などの準備は舞台の袖でする。そこはとても暑い!飲み物はすぐにホットになってしまう。

客席は300席。今日の観客は10~20才の学生。東北地方の方言を少しまぜて上演した。雰囲気は日本の学校公演と同じだった。日本語を勉強している学生が多くいた。冒頭から、細かな動きや演技をよく理解してくれて、大いに受けてくれた。よく笑ってくれた。途中から少し静かだな、と思っていたら、どうも先生に静かにするよう注意されたようだ。そんなことも、日本の学校公演と同じだった。


昨日宿泊した、同じ大学内のホテルで夕食をとってから、コーンケーンに向けて出発。

学校公演を終えて、バラシを終えて、次の公演地に向かう移動の車中。「いつもとおんなじ!」と、皆、車中で元気がいい。井村クンや佐藤ちゃんは、運転がない分、楽だね!いただいた地元のお菓子など食べながら、おおはしゃぎであった。

コーンケーンのホテルに着くと、明日の公演のサポートをしてくださっているパ
ジョンキットたちが出迎えてくれた。基金の内田さんも、バンコクから飛行機で到着していて、ここからラオスまで行動を共にする。
パジョンキットさんは、「ビジネス アンド プロフェッショナル ウィメンズ  アソシエイション オブ タイランド」という働く女性の商工会議所(?)みたいな団体の代表で、基金のスタッフのドアンチャイさんと高校時代からの友だちだそうだ。
短い時間ではあったが、ビールやジュースを飲みながら交流。
明日の観客であるコーンケーンのこどもたち(10~12才)は、舞台を見ていてあまり全身で感情を表さないかもしれないが、どう感じているかは、目を見ればわかる、とのこと。日本でも、九州や関西と東北では、観客の反応が違うように、タイでも、東北地方の人たちはシャイなのだろう。

今日一日、とても暑かった。
今日のホテルはバスタブつき!汗を流して、おやすみなさい・・・。

フィガロ組といえば・・・ : うーぽむ

フィガロ組は、関東圏の初日を無事終えました。三多摩演劇をみる会さんの昭島市民会館での例会です。

フィガロ組といえば、ロビーコンサート!久しぶりのロビコンでした。結構たくさんの人が見てくださいました。私にとっても久しぶりの口上でしたが、前よりうまくなったかも!?楽しんでくださっていただければ満足です。

そしてフィガロ組といえば・・・、こまきち先生です。最近すごく痩せて綺麗になられました。
今回バルバリーナメイクを若干変えたみたいです。


ジャージの上下が異常に似合います。
本人曰く「少年院から出てきた子」、
ケルビーノ太田曰く「渋谷にいる人」



仕込み、バラシを手伝っていただき、ありがとうございました。
差し入れのパンもおいしかった!!(こっそり買いに行ったスコーンもおいしかった!)
三多摩演劇をみる会のみなさんにまた会えることを楽しみにしています!!

ピノッキオの現場から・タイ東北編 萩京子

5月24日(木)

いよいよタイ東北ツアーが始まる。
今朝、基金の内田さんからうかがったことだが、タイ東北地方から多くの人がバンコクに働きに出ているということだ。レストランで働く人、タクシーの運転手、マッサージをする人など、すでにたくさんの東北地方出身の人と出会っているはずだ、という。

10時ロビー集合。おなじみのチンダーさん(基金の運転手さん)運転のバンに、こんにゃく座一行7名と、基金のドアンチャイさん、ラワンさん、計10名が乗る。
荷物車に5つのドンゴロスと、トランクふたつ、そして個人のリュック等が積まれる。別に、調律師さんも乗せたピアノ運搬車が、これからの東北地方3カ所での公演に同行する。ナコン・ラリャシーマー→コーンケン→ウドンタニというコースで北上し、国境を越え、ラオスへ入る。今日は、ナコン・ラリャシーマーへ向かう。コラートとも呼ばれるイサーン地方。タイの道路は整備されていて、1号線から2号線へ、快適なドライブだった。車で移動する旅は、こんにゃく座の原点だ。車に弱いさとみは、酔い止めを飲んで、おとなしく眠っている。

お昼は湖のほとりにある「海の家」みたいなレストラン。えびとお魚とトムヤムクン!風が気持ちよく吹いて、暑さを感じさせない。白い牛が草を食み、ニワトリが走り回っている。ひととき、バカンス気分を味わう。目的地のラチャパット大学に、私たちは順調に着いたが、荷物車は遅れている。公演は明日。会場はラチャパット大学の講堂である。大学内にホテルがあり、そこに宿泊する。今はまだ夏休み(!)なので、大学内は静かである。6月から新学期が始まるそうだ。講堂の使用可能時間に限りがあって、荷物が遅れているので、今日は荷下ろしはできない。だが、とにかく講堂を見に行く。8階!エレベーターはあるのだが、とても小さい。ピアノを載せられない可能性がある。8階まで階段で上げるのは、大変だあ! このナコン・ラチャシーマーの公演をサポートしてくれているのが、日本語学校の代表のパリタさん。彼女のご主人が軍人で、ピアノ運びに若い衆を20人ほど、よこしてくれるという。頼もしいことである。

夕方の16時から18時までフリータイム。お散歩する人、お昼寝する人など。 夜はパリタさんご夫妻、お子さんおふたり、それから日本語学校の先生おふたりとご一緒にお食事。日本語学校の先生のひとりは日本人、大阪出身のダイスケさん。大阪出身の岡原と大阪弁で盛り上がる。

ホテルに戻り、岡原の部屋で、運転手のチンダーさんの三弦のギターのような楽器(確か、ピンという楽器だとうかがったような・・・)と、笙のような笛を演奏を聴く。チンダーさんの笛に合わせて、三弦を借りて適当にかき鳴らし、にわかのセッション。ドアンチャイさんの歌も聴けたし、踊り出したくなるようなフレーズもあり、とても楽しかった。

ここのホテルのシャワーは、とても恐ろしかった。各部屋のシャワー室に、小さなガス湯沸かし器のようなものがあり、そこからシャワーが直結している。どこをどうしたら、お湯が出るのか?皆、苦労していたのだが、勇気のある岡原がいち早くやり方を発見。どう見てもガスの元栓のように見える栓をひねるとお湯がいきなり噴き出すのである。いろいろなことを学ぶ日々である。

ピノッキオの現場から・タイ編 萩京子

5月22日(火)

ハノイからバンコクへの移動日。
朝食、フォーの食べおさめ。
旧市街の街並みも見納め。
車で空港へ。
お世話になった基金の榛澤さんと、お名残惜しくもお別れし、一同7人はバンコクへ。
これまで二回公演し、それ以外にも、事前の調査・宣伝ツアーなどもしたので、
何回も来たことのあるバンコクに降り立ったときは、なつかしいおなじみの場所へ来た、
という気持ちがした。
ほっとした感じ。
今回のツアーの仕掛け人ともいうべき、国際交流基金の内田裕さんが空港に迎えに来てくれていた。
これまでの2回の公演でお世話になったドアンチャイさんも。
車で、基金の事務所に隣接した今回の公演場所であるホールへ向かう。
運転手のチンダーさんも、すっかり顔なじみ。
実はこのチンダーさんは、林光さんに似ているのです!

さて会場は、今回のツアーの中で一番小さい。
お客さんの数は正確には読めないが、キャパいっぱいの200名くらいは来ると思うと言われる。
問い合わせも多いそうだ。
うれしい情報であるが、平戸間の空間なので、演技エリアをどれだけとって、
客席数をどう確保するか、という点が少々難しい。
前1列座席をとって、ゴザ(このゴザは、6年前も『ロボット』公演のために
買ってもらっていたものだ)を敷いて、桟敷席を作ることにした。
荷下ろしだけのつもりが、かなり準備を進めることができた。
会場から徒歩3分くらいのところにあるホテルにチェックイン。
それぞれ、自由な時間を過ごす。
昼寝をする人。
プールに行く人。
その他いろいろ・・・。
私は、ハノイの20日、21日分の座日記を書き込み、送信。
夜は、基金主催でウエルカムパーティーをしていただいた。
さっそく、タイ語のレッスンが始まった。
ベトナム語を終えて、タイ語が簡単に感じられる、などと言っていたのだが、
やっぱりたくさん直されました!

パーティーの後、萩、岡原、山崎はタクシーでマッサージに出かけました。
マッサージは数多くあれど、安くで上手な「ワット・ポー」という店。
有名なお寺の「ワット・ポー」の支店のようなものか。
1時間で全身ゆるんで、ホテルに戻ってこてんと寝ました。

5月23日(水)

午前10時に会場に入り、舞台監督の久寿田さんは照明つくり。
役者は語学。
私は、ジャカルタの新聞に批評が出たので、辞書を片手に読む。
ゲネプロ(フルドレス・リハーサルと書いてあった)を見ての記事だったが、
丁寧に書いてくれていた。
最後のメッセージが観客に届く、と書いてあったので、うれしい。

午後13時から、場所を決めながらはじめから終わりまでやる。
会場は劇場ではなく、大きい会議室のようなもの。
映画の上映会のなどがよく行われている。
私たちは6年前の『ロボット』公演のとき、レクチャーコンサートをしたので、
様子はわかっていた。
ホテルの宴会場などによくある高さ20センチくらいの舞台があり、
その奥行きが狭いので、その舞台だけでは演技できず、平戸間の部分と併せて
演技の位置を工夫しなくてはならない。
最後のクジラのシーンのところまで、細かくやって、17時。
19時開演。
大入りで、桟敷には大人も子供もぎっしりである。
舞台が客席と近いということもあり、観客との関係がとてもホットな公演となった。
おもちゃの国のシーンでは、シャボン玉にひきつけられたのか、こどもが舞台に出てきた。
客席はもう大受けである。
その子の親も、引き戻しに来ないし、私たちもそのまんま。
まさしく、おもちゃの国にピノッキオが引き寄せられたようなものだ。
しばらく楽しんで、自分の席に戻っていった。
そんな楽しいこともあり、公演は大好評。
ロビーではたくさんの人に声をかけられた。
『ロボット』も『ゴーシュ』も見ましたよ、と言ってくれた人もいた。
ここバンコクでも、こんにゃく座が根付いてきている、ということを感じる。
仕掛け人の内田さんも、「よかった」と言ってくださった。
よくぞ、新作を受け入れてくださった、と心から感謝。
今日もまた、とてもうれしい日となった。

ピノッキオの現場より・ジャカルタとハノイ写真編 制作あき

ピノッキオアジアツアーもいよいよ後半戦へ!
その前に、現場から届いた数々の写真をお楽しみください。



ジャカルタ日航ホテルを出発。基金の塚本氏、熊谷氏と一緒に記念撮影。
多恵さんは日本に帰国。さてこれから7人チームです。




オペラハウス前に集合!大使館の榛澤氏と彦ちゃんがいます。




ハノイオペラハウスの受付嬢。アオザイが素敵。美人さんばっかり。目の
保養です。



これがウワサのチャーカーです。詳しくは萩さんの日記で。
美味しかった~

ピノッキオの現場より・ベトナム編 萩京子

5月20日(日)

晴れました!
ホテルを出る前に、5月18日と19日の分の座日記を書いて送信する。

ベトナムでは、「ピノッキオ」はロシア経由で入って来て、名前が「ブラッティノ」として広まっている。
だから、「ピ・ノ・キ・オ!」の歌を「ブ・ラ・ティ・ノ!」と歌ったほうがいいか?などと言っていたのだが、その必要はなさそうだ。このオペラ『ピノッキオ』は、あの「ブラッティノ」の物語だ、ということが、
ちゃんと伝わっているようだ。

10時にホテルを出て、ハノイ・オペラハウスへ。
ピアノが動かされた形跡あり。
位置が変わってしまっている。
オペラハウスのスタッフはおらず、薄暗いなか、ウォーミングアップやら指ならしなどする。
実は今回はオペラハウスのスタッフはいっさい関わっておらず、ベトナム・オペラバレエ・シアター
というところの関係で、照明機材を借りたり、スタッフの協力を得たりしている。
昨日は「夜9時からのテレビが見たい!」などとおっしゃる。
そして、今日もなかなか現れない。
11時半から舞台のセッティングをしたいのだが、その段階でも来ていないので、
連絡をとってもらったら、今向かっているという。
まったく!そば屋の出前?

さて、本番直前まで、通訳のマイさんとフンさんにセリフのチェックをしてもらい、
14時からいよいよベトナム公演一回め。
開演10分前、5分前、1分前に鐘の音が鳴る。
オペラ『ピノッキオ』。ベトナムでの反応は?
ベトナム語は伝わるのか?
子供たちのざわめきと反応は、日本で公演しているような感じである。
マレーシアやインドネシアのようには、どっと来ないのは、ことばが伝わらないからか・・・。
どのように受け入れてもらえたのか、と、少し心配だったのだが、終わったとたん、
ものすごい拍手と歓声。
ベトナムでは終演後、人々はすごく早く帰ってしまうそうなのだが、拍手も長かったし、私たちがロビーに送り出しに出て行くと、握手とサインと写真のリクエスト責めにあった。
ベトナムでは、狂言の公演があっただけで、日本の演劇は公演していないということだから、
私たちはフロンティアになることができた。

夜公演は20時開演だから時間があいている。
街に繰り出すと興奮してしまい、エネルギーを消耗してしまうので、かなり自粛する。
ベトナム語のチェックがさらに続く。
そして、記念写真を撮ってから、ご飯を食べに出かける。
フォー24という店へ。
鶏肉入りとか、牛肉入りとか、具を選べるのだが、全員「全部入り」というのを注文した。
ガツ(胃)なんかも入っている。
たいへんおいしくて、終演後また来たいね、などと騒ぎながら、劇場に戻る。
夜の公演は10分遅れて20時10分開演。
始まったとたん、昼とは全然違う反応。
「いいこにしていれば、きっといつか人間の子どもになれる」という歌詞を、間奏曲(?)にのせて、
通訳役のさとみがベトナム語で言うと、拍手が沸き起こった。
ピアノを弾きながら、顔がにっこりしてしまう。
さとみもうれしかったに違いない。
さとみだけでなく、他のメンバーもみんな。
それから、舞台にどんどん活気が出て、客席の反応もあたたかくノリも良く、ベトナム語のセリフも、
大いに受けた。
笑いもたくさん。
芝居のリズムもよくなってきている。
このハノイ公演がアジアツアーの折り返し地点だ。
終わってからの拍手と声援は、とてもうれしかった。
大使館のスタッフの皆さんはリハーサルからずっと見ていてくださって、ベトナム語がどんどん上手になっていって、よく伝わるようになった、と言ってくださった。
そして「とてもすばらしい公演でした」と言っていただき、ほんとうにうれしい。
役者4人は、ベトナム語、よくがんばりました!

バラシ中の恒例の衣裳の洗濯は、今回特別参加の彦ちゃんこと、座員の彦坂仁美宿泊の、
ホテル・ヒルトン・オペラハウス(オペラハウスのすぐとなり)の彦ちゃんのお部屋で行われた!
ヒルトンさまさま!いえいえ、彦ちゃんさまさまです!
まず楽屋で乾杯!
ホテルに戻ったのは23時半ころか。
基金の榛澤さん、大使館の古館さん、藤田さんも参加して、101号室にて飲み会。
あまりに興奮して皆大きな声でしゃべり笑ったりしたので、
「静かにしてください」と、ホテルから注意を受けた。
日本国内のツアーでは時々やらかしているのだが、大使館の方々とご一緒の時だけに、
おかしかった。
その後は、ひっそりと静かに楽しく飲んだ。

5月21日(月)

公演もなく、移動もなく、リハーサルもない一日。
自由行動は15時まで。

ホテルは旧市街のど真ん中にある。
ホテルを一歩出ると、道ばたでくだものや野菜や肉までも売っている。
道ばたで、人々がお茶を飲んでくつろいでいたり、しゃべっていたり、食事風景もよく見かける。
おいしそうなのだ、これが!
天秤棒を担いだ人が、物を売っている。
細かな通りが入り組んでいて、通りに名前はついているのだが、迷子になりそうだ。
ホテルの前はハンヴァイ通り。漢方薬の店が並んでいる。
草の根、木の皮の匂いに満ちている。
少し行って曲がるとおもちゃ屋通り。
さとみと一緒に、ドンスアン市場まで歩いて行く。
市場には、衣類、靴、布類などの店がぎっしりひしめきあっている。
市場で働いている人たちの様子を見ているだけで楽しい。
お昼どきなので、ご飯を食べている人が多い。
商品の上で、平気で食べている。
食堂もあった。(平民食堂と呼ばれているそうだ。)
お皿にご飯を盛って、その上に好きなものをのせていく。
お総菜の種類は50種類以上だ。
旧市街を歩き回り、市場に行ったということだけで、充分充実した自由時間だった。

お昼はみんな(7人+彦坂)一緒に出かけた。
2カ所に分かれて食事。
私は、チャー・カー・ラ・ボンという雷魚料理の老舗へ入った。
フライにした雷魚をさらに油の中に香草と一緒に放り込んで、米の麺にかけて食べる。つけめん方式。
おいしかった!
役者4人は、お腹にやさしそうな、バケット&ショコラという店に。
役者諸氏は摂生しています!

その後、水上人形劇を見に行った。
水をはった四角いプール状の舞台。
下手に楽団席。
全体のストーリーはなく、17の場面。
人形を操る人たちは、下半身水に浸かっての重労働だ。
しかも一日4回公演。
終演後、すぐ次の準備をしている姿にシンパシーを感じる私たちだった。

さて、その後、ベトナム・オペラ&バレエ・シアターを訪問する。
ロシアバレエの伝統を受け継いだ50年近い歴史のある団。もちろん国立。
(国立でないカンパニーなどなく、そもそも集団は結成できないのだということだ。)
練習風景も見せてもらった。

さて、その次。
ベトナム・ミュージック・ダンス&ソング訪問。
こちらは、ベトナムの伝統的は音楽と踊りを世界に紹介していく、という目的をもった団体だという。
私たちのために、演奏と踊りを披露してくださった。

そして日も暮れ、いよいよ打ち上げ。
ベトナム料理。
めずらしい食べものとしてはタニシがあった。
最後に汁かけご飯。
大使館の方たちが言うには「ねこまんま」
これもたいへんおいしかった。

宴の途中で、彦ちゃんの出発の時間となる。
彼女は夜の便で日本へ帰る。
彦ちゃん、こんにゃく座観劇ベトナムツアー、楽しめましたか?
たくさん手伝ってくれて、ありがとう!

ホテルに戻った私たちは、榛澤さんと、大使館の下西さんも交えて、昨日と同じく101号室で、
またまた飲み会。
下西さんは世界70カ国を旅したという、とてもおもしろい方。
私たちも旅をして、たくさんの人と出会う。
「この世界には、いろんな人がいる」
ピノッキオ最後のことばは、私たち自身のことばだ。

正しいオフ日の過ごし方? : うーぽむ

府中の森芸術劇場で文学座のゲネプロを見せていただきました。
「森は生きている」や今度の「クラブマクベス」でお世話になっている高瀬さんの演出「アラビアンナイト」のゲネプロでした。

帰りにお腹がすいてる人たちで東府中の駅までの道にあるイタリアンのお店へ。
アラビアンナイトの感想や、フィガロの旅でのこと(フィガロ組が多く見に行ってたんですね)、はたまたこれからの座の展望・・・おいしい料理を食べながら語ったのでした。


お店はAGLIATTOさんです。ブルーチーズのハチミツがけウマ~!!



ピノッキオ組もこれから大変みたいですが、フィガロ組も25日の昭島の公演からがふんばりどころ!たくさんの人に楽しんでいけるように、みんなでがんばりまっしょい!!

トラック組、倉敷からの帰り道:静岡愛鷹SAにて by.宮瀬


「わさびラムネとカレーラムネ」久さんと二人で発見。
わさびの方はなんでも本物は入ってないらしい。カレーは注意書きが何もないから恐らく何かしら本物が?
味はというとわさびは後からフッとわさびの香がした。カレーはまともにカレーの味がして久さんは飲み干せなかった。
感想を聞くと、「インド人もビックリだ」だそうです。

ピノッキオの現場から:制作アキ

ハノイは雨期に入り雨がざんざん降ったりしています。
今日はホーチミンの誕生日でした。
街中がお祝いムードです。

ジャカルタでの写真です。


TIM(劇場)の入り口には大きな布幕ポスターがあった!
こんな大きなピノッキオは最初で最後だろうな~。

萩さんが日記にも書いていた新聞記事。
分身の術を使うピノッキオVS阿修羅OKAHARA。
インパクトありすぎです。

TIMのテアトルクチールの楽屋口に2匹のネコがいついている。
そのうちの一匹は楽屋の中まで「よろしいでしょうか?」とお伺いをたてながら
入室してくる。井村くんととアイコンタクトしているけど、通じてるのかな?

ピノッキオの現場から・ベトナムに行った彦ちゃんより

本日、無事ハノイより帰国いたしました、座員の彦坂です。
ハノイ公演は夜公演が素晴らしかったです!
ベトナム語はそれはそれは難しい言語でみんなぎりぎりまで格闘してました。
先生も若くて全く妥協しないので、みんなきっとくたくただったに違いありません
お客さまは、ベトナム語が時々出てくるのだと理解したらしく、いち早く解った人が
回りの人たちに説明するという光景も見られ、初めから最後まで興味深く
観て頂けたようです。
さとみちゃんのベトナム語のセリフ(良い行いをすれば良い人間になれます、みたいな…)
に暖かい拍手がおきて、涙が出ちゃいました。
シャンデリアが素敵なオペラハウスは響きも申し分なく良く、声がいい感じに客席に
届きました。
1ステ目まで重く感じたピアノの響きがなぜか2ステ目に、ものすごく鳴りだしました。
パリのオペラ座をコンパクトにしたハノイのオペラハウスにも
怪人が住んでいるのかも…(笑)

以上、彦坂よりハノイ報告でした!

ピノッキオの現場から・ベトナム編  萩京子

5月18日(金)

ジャカルタを旅立つ日。
出発前は、液体もの、刃物、薬などを、制作のトランクに入れるという恒例の作業がある。
個人の荷物は、機内持ち込みオンリーなので、上記のものは、自分のリュックには入れられないのだ。
それから、洗濯して各自の部屋に干していた衣裳(これは一晩では乾かないので、ビニール袋に入れて)を、舞台装置であるドンゴロスのひとつに入れるという作業。
チェックアウトもなかなか大変である。
インターネットやら、マッサージやら・・・。
よくチェックしないと、利用していないものが請求されていたりする。
オカハラのトレーニングパンツ行方不明騒動があって、ホテルのタオルと一緒にかたづけられてしまっていたのだった。
でも無事戻ってきた。

演出の伊藤多恵さんはジャカルタまでなので、ここでお別れ。
多恵さんは夜の便で帰国する。
めずらしいスカート姿でロビーまで見送りに来てくれた。

お世話になった基金の塚本さんと、熊谷さんとも空港でお別れ。
私たちはとうとう7人になった。

お茶でも飲んで、残ったルピア(インドネシアのお金)を使おうと、空港内をうろうろするが、何万ルピアという大きな桁のお金を持っていても、2~300円
だったりすので、入れるお店がなかなかない。
やっと見つかって、お茶を飲みながら、7人になったことをしみじみかみしめる。
(ひとり、初めての海外公演満喫中の田中さとみは、ショッピングに飛び回っていた!)

さて、タイ航空にて、バンコクでのトランジットをはさんで、ハノイへ向かう。
役者諸君は、次なる公演地ベトナム語のセリフの勉強に突入。
バンコクでのトランジット中、ベトナム人とおぼしき人を見つけては話しかけ、セリフを聞いてもらい、直してもらうという突撃レッスンを実行。
ベトナム語はとても難しい。
必死である。

ハノイに到着。
ハノイには基金の事務所はなく、基金から日本大使館に出向している基金の榛澤さんと、大使館の古館さん、下西さんが迎えに来てくれていた。
ハノイは雨。
ホテルにチェックイン。
オリエンタル&クラシック、かつ家庭的な雰囲気のホテル。
私の部屋は5階という名の6階。エレベーターなし!
その6階の住人は3人。
萩501,岡原502,井村503なのだが、おもしろいことに、この3つの部屋はある意味つながっていて、岡原の502はフィガロとスザンナの部屋のようなのだ。(わかりますか?)
さしずめ、井村は伯爵で、私は伯爵夫人かしら?
ホッホーッ!

5月19日(土)

今日も雨。
ハノイの朝は早い。7時前から通りがにぎやかで目が覚めてしまった。
ホテルの朝食はふつうのアメリカンブレックファーストか、ベトナムのフォーのどちらかを選べる。
全員迷わずフォー。
おいしかった。

10時に劇場入り。
ハノイ・オペラハウスである。
クラシックなつくり。
パリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)をこぶりにしたような、と言ったらいいのでしょうか?
ここで『ピノッキオ』をやるのか!
全員興奮気味。

まず劇場使用料を支払いに行く。
要するにオペラハウスも貸し小屋なのだ。
マレーシアとインドネシアは有料公演だったが、ベトナムは無料。
前評判は上々で、すでに予約で満席という。
いよいよ、ベトナム語が心配になる一同。
通訳の人をつかまえてはベトナム語の練習を開始。
しかし何度も直される。
お昼は外食。
街中に出かける。
車の通りが激しく、バイクの二人乗り、三人乗り、自転車、歩行者入り乱れて、よくぶつからないなあ、という感じである。
車窓からつかの間、街を見て楽しみ、また劇場にもどり、午後は場あたりと止め通し。
通訳のおふたりから、たくさんたくさん、直される。

夕食は日本食のお弁当、
夕食後、ゲネプロの予定だったが、方針を変更し、ベトナム語中心の稽古にする。
ベトナム語のセリフにしているシーンを徹底的にやる。
何パーセント伝わるのかな。
でも、泣き言も言っていられない。
役者はホテルに戻ってからも、ベトナム語の勉強。私は、基金の榛澤さんと、くすちゃん、あきちゃん、それから今日、コンニャク座のベトナム公演を見るために、自費でハノイにやってきた座員の彦ちゃん(!)
と一緒にビールを飲みに行く。

今日はホー・チミンの誕生日ということで、街はお祭り。大にぎわいであった。
ホー・チミンの誕生日にハノイにいることができて、ちょっと感動した。

ぶらり倉敷 : うーぽむ

フィガロ組始動です。
ホテルから倉敷の美観地区を通ってホールに向かいました。いい天気でよかった!素敵な町だなぁ。



ピノッキオの現場から

図々しいにもほどがあります。

インドネシアからベトナムへ移動途中、タイでトランジット(乗り換え)。
飛行機の待ち時間に、なんとこいつら近くにいるベトナム人らしき人をつかまえて言語指導をさせている!
最初はにこにこしながら教えていた人もさすがに3人目となるとうんざりしていた様子。
人の迷惑考えない人達でした。



ピノッキオ・マレーシアの現場の遅い報告!制作タダチ

5/11から14までマレーシア公演に行ったAB型その5です。
(ピノッキオ組スタッフメンバー8人中5人がAB型なんですね)
日記が過去になってごめんなさい、遅ればせながら、やっと報告します。

5月11日
ガラガラのクアラルンプール国際空港から列車で中央駅へ、そこからタクシーに乗り、22時の退館30分前頃に劇場に着くと、何やら舞台上で演出、作曲、舞監、制作が顔突き合わせ話し合い中。
話しかけにくい深刻な雰囲気…。
なんかあったのか?
話し合いの中味は、ずっと話し合い悩んだ字幕からみのこと。
日本語ばかりでは伝わらないのでは、という心配を解決するために、さらに英語現地語を増やすかどうかの問題。
今回の海外公演は字幕なしの大!大チャレンジをしている。
言葉に頼らない感性に訴える事と、日本語に言葉にこだわってきた事。
こんにゃく座の矛盾するかのような大きなふたつの特徴について改めて思う。
それにしても、みんなちょっと疲れてる様子。

5月12日
いよいよ世界初演!
とその前に‥‥破けた靴の補強の材料を買いに出かける高野島田と一緒に、基金の島田さんにも付き合って頂き、街へ出かける。
もとめるは茶色の靴下、またはこげ茶の靴。
長崎屋のような、しもじまのような4階建てのチープな用品店へ。
靴売り場の靴はむき出しで何足も縦に積まれている。
当然下にある靴はつぶれ気味。靴ないな~。
下着売り場で茶色靴下をゲット。
念のためもう一軒。調子のいいオヤジのいる安売男性洋服屋。
一足買うと一足タダ!
5足で足りるが6足持ってレジにいくと、ちゃんと6足分の料金が請求される。
え~!ちょっと~!基金の島田さんにオヤジをたしなめてもらい、支払いは無事3足分ですみました~。
その後、靴をもとめて何軒か回るがなかなか希望の物はない。
靴下のみでやってみようと劇場へ戻る。

マレーシア3ステージ
どの公演も終演後のロビーでは握手や写真責めになる出演者たち。
客席も、マレー語がでると喜んで「あの役者○○(マレー語)って言ったよ!」
とセリフを繰り返し楽しんでいる親子、
キツネの日本語関西弁に妙に大受けしているマレー人父娘、
顔の表情や態度、動き、言葉でない部分に反応する子どもたち、それぞれに違う反応が入り混じる客席。

12日昼初日は、子どもたちの反応が良かったが、
なんだかスッキリしない。
舞台もワサワサしている。う~ん…。

夜公演、うまくいった!開けた!流れた!少し余裕が感じられた!
客席も大いに沸く!

翌日マレーシア楽日。なんとなく反応がおとなしく途端に不安になってくる。
でも客席のあちらこちらで親子が寄り添い、子どもが舞台を指差したり、
何やら小声で舞台について話したりしている。
舞台ではジェペット爺さんがピノッキオを見守っている。
この作品に登場するもの、道とか太陽とか意地悪なキツネやネコでさえ、みんなピノッキオを見守ってる。
客席みんなが優しい雰囲気に包まれる。
言葉にすると恥ずかしくってやだけど、こんなハートフル!な空気ってそうないよ。
日本でも海外でもどんな環境でも、
きっとこの暖かいやさしい空気を作れる、そんな作品ができた!と感動。
でも舞台ではヒヤヒヤする事も…。

オペラ「ピノッキオ」は本当に旅立ちました!
座もピノッキオと一緒です。
旅をしていろんな人に出会って助けられ、たしなめられ…
笑ったり、泣いたり‥‥そうやって日々旅を続けるんです。ね!

こっから先もたくさんの新しいことが待ってるアジアツアー。
東京(あっ、神奈川だった)で待ってるからね。



見送りにきてくれたみんな。しかし見せていいのかものすごい寝起き顔!朝早いのにありがとう!
そして車が出発した瞬間、舞台監督のクスダ氏も駆けつけてくれる。一瞬だがお別れができた。
でも一人ここにはいない人が、それは‥‥。

ピノッキオの現場から:萩京子

5月15日(火)

携帯電話の目覚ましを朝7時にセットし、起き出してごそごそしていたら、同室の山崎亜季に「萩さん、超早いですね~」と言われ、時差を直し忘れていたことに気づく。
朝6時だったのである。
う~、眠い。
しかし、ここでまた寝てしまうと、起きそびれてしまうかもしれないと思い、がんばって正式に起きる。
8時半にホテルを出発。劇場入り。
午前中は照明づくり。
ピアノの到着を待つ。
ピアノを待つあいだに、客席の暗がりで、5月13日と、14日の座日記を書く。
TIMの大きい劇場(2001年に『ロボット』を公演した800人収容の方)から、ピアノは運ばれてくることになっている。
お昼まえに、ピアノがやってきた。
1962年製のスタインウエイ。
『ロボット』もこのピアノで演奏されたのだ。
運んできた調律師の人の顔にも見覚えがあった。

お昼はお弁当。ナシ・アヤム・ナントカ・・・、。
ご飯とチキンの味付けしたもの。

昼食後、13時から、ドンゴロスの位置決め。
伊藤多恵こだわりのミザンセーヌ。
私は昼食後、眠くて仕方がない。
眠りながらピアノを弾く。
6時半からゲネプロ。
なんとか身体を起こさなくては。
30円ぐらいのドリンク(どうも精力剤らしい・・・)を飲んだり、体操をしたり、身体と気持ちを持ち上げる。
報道関係者と児童劇団の人など80名くらいが客席にいる。
ゲネプロとは思えないほど、客席の反応がいい。
最後にピノッキオが袋に入って、手だけでごあいさつすると、客席から「バイバーイ!」の声。うれしくなってしまう。
終わって、役者は多恵さんからのダメ出したっぷり。
私は報道の取材を受ける。
一対一で話をするのかと思っていたら、20社以上で、パチパチ写真を撮られ、単独記者会見という感じになった。
「なぜ『ピノッキオ』を選んだのか」
「インドネシアの子供たちにどのようなメッセージを伝えたいか」
「なぜ日本の伝統的な音楽を使わないのか」
「いつも少ない人数で公演するのか。」
等々の質問を受ける。
前回のツアーの時にも感じたのだが、ジャーナリストの人たちがとても積極的である。

さて、ホテルに戻り、今日はお利口におとなしく過ごす。
(飲みに行かない、という意味である。)
お部屋にマッサージを呼ぶ。
ジャワ式マッサージとのこと。
すごい美人のお姉さんが来た。

5月16日(水)

昨日ゲネプロをすませていたので、午前中は少しゆっくりすごすことができた。
12時にホテルを出発。
劇場にはお弁当が来ていた。
ジャカルタでの食生活は、ホテルでの朝食と、あとは劇場ですべてお弁当。
交流基金の事務所の「お弁当大臣」と呼ばれるスタッフさんが、綿密にメニューを組み立ててくれていて、とてもおいしい。
ピアノの調律も終わっていた。
実は昨日のゲネは、ピアノを調律していない状態でやったのだった。
まあ、それくらいのことで神経質になっていては、アジアツアーはやれない。
ピアノがあるだけでありがたい。
そういう気持ち。

昨日の取材の成果があり、新聞に大きくピノッキオの舞台写真が載った。
オカハラが千手観音、あるいは阿修羅のように写っていて(さとーちゃんとさとみの手が重なって写っているのでした!)、ピノッキオくんも分身の術というか連続写真のように3人写っていたのがおかしかった。

15時から音楽稽古。
16時半から多恵さんによる抜き稽古。
クアラルンプールとうって変わって、床が滑る滑る・・・。
舞台も高いし、見え方が全然違うので、昨日もていねいにやったけれど、さらに細かくチェックする。
床が滑るということで言えば、ピアノを弾く際に、全然足がふんばれないのである。
仕方がないので、自動車の運転席の(?)シートを借りて、透明のテープで床に貼り付けてもらった。

開演は20時。
インドネシア公演はロビーに備え付けられているドラの音で開演を告げる。

ジャカルタ公演初日。
客席はすごくノリがよくて、反応がすごい。
よく笑ってくれて、手拍子も来た。
客席から手拍子が来ると、テンポが狂うので困ってしまうことが多いのだが、その手拍子も、遅れないのがすばらしい。
いろいろ細かいミスはあったが、客席には大受けで、役者+ピアニストは気をよくしていたが、終演後、多恵さんよりきびしいダメが出た。
細かいミスの積み重ねが、芝居全体のリズムを悪くしているということ。

『ピノッキオ』はとても緻密にできていて、音、ことば、動きそれぞれが、複雑に絡み合っている。
タイミングが0.1秒狂うだけで、かみ合わせが違ってしまうのである。
それはわかっていても、なかなか完璧にはできない。
稽古を重ねても、行く先々で言語が変わるので、リズムが狂う。
劇場のつくりも違う。
そういうたくさんの条件をさらりとクリアできないとダメなのだなあ・・・。

それでも、みんなご機嫌で、中国料理&ビールで初日乾杯。
明日は千秋楽!
多恵さんに見てもらえる最終日。
がんばりましょう!

5月17日(木)

あっという間に、ジャカルタ公演最終日。
11時半、ホテル出発。
劇場入り。
今日は暑い。
着いたらまずお弁当。
ジャカルタのおいしいお弁当もこれが最後。
全食おいしかった!
12時半から14時半くらいまで、稽古。
こだわりの多恵さんは、見え方をさらに直して行く。

ピアノ・・・1962年製のスタインウエイくんは、ぜいぜいあえいでいるが、あと一回がんばって、と祈るような気持ちです。

16時開演。
今日は学校がお休みの日ということで、客席は子供も多く、今日の回は早くに売り切れたとのこと。
2001年のロボット以来、3回めのこんにゃく座公演を楽しみに待っていてくださった方も多いと聞いて、ほんとうにうれしい。

だれないように、すべらないように、勢いでやらないように・・・。
とまあ、気をつけることはたくさんある。
昨日とは少し違う感じで、ていねいにやれたかな。
終わって、すごく暖かい熱烈な拍手。
ロビーに出て行くと、サインと写真責め。
ニコニコしすぎて、ほっぺたが下りなくなってしまった。
2003年の時にお世話になった通訳のリンダさんが3人の娘さんを連れて見に来てくれていた。
その他、『テト』を見ました、『ゴーシュ』を見ました・・・、と、たくさんの人に声をかけられた。
こんにゃく座ジャカルタ公演は着実に積み重なっていることを実感。
今回は2回とも満席。
よかった!
多恵さんからも、今日のが今まででいちばん良かったと言ってもらえた。
よかった!

さて、パッキング。
オカハラはホテルで洗濯。
(このパターンが定着)
19時くらいには終わり、ホテルに戻り、それから打ち上げへ。

明日はベトナムへ移動。
旅も中盤に差し掛かります。

ピノッキオの現場から:制作アキ

KLからジャカルタへ。マレーシアで担当して下さった島田さんと記念写真。男前でしょ?
11人いた公演団が8人に!点呼もすばやい、というかなくてOK。



ジャカルタで早速原語指導してもらいました。
右にいるのはSONYさん。過去2回のアジアツアーではテクニカルコーディネーターでたいへんお世話になりました。今日は劇場裏の芸術大学で教えている合間に陣中見舞いで訪問してくれて、快く原語指導も!みんなどんどん上手くなってきています。



ゲネプロの後に記者会見。30人近いプレスの人がひしめき合い、当初楽屋で設定していたのですが、急遽舞台で。
熱心にいろいろな質問が投げかけられ、にこやかに答える萩京子。1時間ほど質問攻めでした。
この写真は手前で雑誌のインタビューを受ける萩と、その奥ではTVの取材を受ける国際交流基金ジャカルタセンターの塚本氏。同時進行取材です。

ピノッキオの現場から:萩京子

5月13日(日)

マレーシア公演二日目にして最終日。
始まったと思ったら、すぐに終わりのときがきてしまう。
ことばにしても、劇場にしても、慣れたころには、さようなら。
そして、高野、島田、忠地、という応援隊も、この公演が終わったらいなくなってしまうのです。寂しい!

午後3時開演。
日曜日の昼ということで、子供がたくさん来ている。
マレーシアでの3回の公演は、それぞれ客層が微妙に違っていて、ことばに対する反応も違う。
昨日の夜は、マレー語が受けることもさることながら、日本語学校の生徒がたくさん来てくれていたので、日本語に対する反応もすごくて、客席が沸き立っていた。
今日の観客は、あとから聞いてわかったことだが、マレー語を理解する観客が少なかったそうで、マレー語でセリフを言えばすべて大受け、ということにはならなかったが、それでもじっくりと楽しんでくれて、あたたかい拍手をもらうことができた。
ひとりの役者が次々といろいろな役に変わっていく、という仕掛けを楽しんでもらえたと思う。
人形芝居の親方がネコに変わるところ、親方のヒゲがキツネのシッポになることとか、馭者が早変わりで太鼓つくりに変わるところなど、「なるほど、そういうことか・・・」という感じで受けている。
ところで今日の一番の驚きは、開演してからものすごい音がするので、空調の音
こんなにうるさいのか・・・と思ったりしていたが、どうも雨と雷の音なのである。ショッピングセンターの3階(最上階ではなく)で、しかもしっかりしたビルなのに、まるで雨の日の体育館公演のような状態。
終演後のロビーでは、サインを求められたり、写真を撮られたり、大にぎわい。
オカハラがぼやくには、ピノッキオ役の井村クンが人気があるのはよいとしても、なんだか若くてかわゆいさとみちゃんが人気ものなのである。井村クンとさとみに写真のリクエストが多いことに対して、「どういうこと!?」と、怒っている。
オカハラは、ピノッキオをさんざんいじめる役をいくつもやっているのだから、憎まれ役なのだから仕方ないよね!
悪役冥利につきる、ということでしょう(笑)

さて、バラシと荷造り。
それほど時間はかからない。
オカハラ、ダイスケはホテルにもどって洗濯。
18時から現地のスタッフと一緒に打ち上げ。
前回のゴーシュ公演でお世話になった舞台の責任者のミンジンさんも来て、乾杯!「バリバリ元気」というような変な日本語を言う人です。
その後、飲み足りない、食べ足りないメンバーで二次会へ。
基金の島田さんも、二次会のことを「では、レインボーパーティーへ」とか言い
始める。罰金もののだじゃれです。
旅の初日に行った屋台街の店へ。
雨が降っているので、店内へ。
話はつきないものの、国内の打ち上げでは考えられないくらい早い時刻におひらき。
ひとつめの国の公演が無事終了したことで、みんながうれしく、ほっとした楽しいひとときでした。

5月14日(月)

日本に帰国する高野、島田、忠地の3名は午前8時15分ホテル出発。
(この3人、AB型なのです。)
寝ぼけた顔ではあるが、がんばって見送りに行く。
うるうるが、いろいろな食べ物を置いて行ってくれる。
カテキン入りの緑茶の粉とか。
これはありがたい!
そして、総勢8名となった本隊は11時に出発。
空港までの車内で、次回は・・・!などと話が盛り上がっている。
お世話になった基金の島田さんとも、空港でお別れ。
一路インドネシア・ジャカルタへ!
マレーシア航空。
このフライトは、飛行機が小さいので、荷物の重量の心配があったが、無事通過。
歌役者たちはインドネシア語の勉強に余念がない。
さて、機内食のとき、ビールを注文したら、なかなか持ってきてくれず、食事が終わってから、小さなカップ一杯のビールをくれました(!)
「オー!ア・カップ・オブ・ビアー!」と、思わず叫びました!

ジャカルタ着。
マレーシアとの時差は1時間。時計を1時間戻す。日本との時差は2時間。
こんなふうにどんどん時間を後ろに戻していくと、得をするのかな?
作曲の締め切りのときは、時間を戻したいですね~!
ジャカルタは曇り空。
あまり暑くない。
基金の塚本さんと熊谷さんが迎えに来てくれている。
車3台で、まずホテルに行き、チェックインしてから、劇場へ。
TIMのテアトル・クチール。
2001年の「ロボット」公演の時は、TIMの大きい劇場だった。
2003年の「ゴーシュ」の時は、ジャカルタ芸術劇場というクラシックな劇場。
そして、今回はTIM内の新しい小さな劇場、2001年の時は建設中だったものだ。
荷下ろし。
そうそう、飛行機の移動で、荷物のひとつ、ドンゴロスを包み込む特製ビニールシート袋が破れていた。
空港内で、中身をチェック。
なくなっているものはなさそうだ。
劇場では、壊れていないがどうかチェック。
一応大丈夫そうである。

テアトルクチールは小さいながら、とても劇場らしいつくりになっている。
客席は2階まで。
サイド席は舞台ぎりぎりとところまであって、舞台裏を覗きこむことができる。
ピアノの譜面台に乗せている譜面を読むことができるような感じ。
舞台がとても高く、1メートル20センチくらいかな。
オーケストラボックスのような空間があり、それはどうもガムランの演奏のための空間らしい。

さて、一同はジャカルタにたどり着いたことをお祝いして、夕食会へ。
毎日なにかと理由をつけて乾杯しているのです!
基金の二人を加えて総勢10名。
ひとつのテーブルを囲む。
火鍋というものを注文し、皆の好きな具を次々と注文。
鍋の真ん中で、辛いダシと辛くないダシに分かれている。
私はもっぱら辛いダシの方で食べました。
辛くて暑くて咳き込みながら、涙をながしながら・・・。
おいしいものを食べると、とても元気になり、がんばろう!という気力がみなぎってきます。
私だけではないですよ。みんなそうです。
全員、今のところ、とても元気です。
明日は、場当たりしてから、夜ゲネプロあ
ホテルに戻って、かろうじておフロに入り、あっという間に寝てしまいました。

ピノッキオの現場から:舞台監督クスダ

インドネシアの佐藤をば。



のんきにいこう:大翼

マレーシアでの公演も無事に終わり、ピノッキオ組は明日にはインドネシアへと移動します。
そして高野(演出助手)、忠地(制作)、島田(衣装)の三人は日本へ帰国。AB型の人間がぐんと減ります。
鯨が壊れたり傘が折れたり靴が破けたり服が染まったりしましたが、それらを乗り切った(?)本隊は、この先もきっとうまくいくと思います。
それでは携帯からの報告は終了です。今後は萩さんの日記をお楽しみに…。



ピノッキオの現場から:萩京子

5月11日(金)

今日も午前中はテレビ出演。
今日はベルナマという局で、各局に配信しているセンター局のようなところだそうです。
スタジオではなく、ロビーで撮影が行われました。
昨日はスタジオのなかの狭いセットの一角で歌い踊りましたが、今日は、明るくて開放的な気持ちのいい空間だったので、みんな俄然のびのびと元気にやれました。
局で働いている人たちにも聞かせたい、ということで、アンコールも出て、はりきって演奏しました。
ちょっとしたデモンストレーションとなりました。

さて、劇場に移動し、13時から16時まで、昨日の続きその他、問題点などを
あたりました。
16時から休憩に入って、18時からゲネプロ。
現場に来てから変更したこともたくさんあり、ちょっとしたずれからあれよあれよと調子を崩し、がんばってとりもどさなくては、というあせりが次のミスを呼び・・・というような見事なバタバタぶり。
終わってそでにもどると「はあ~」というためいきと、「だめだ~」というつぶやきが・・・。
そして、それから伊藤多恵による恐怖のだめ出しと返し稽古がたっぷり夜22時まで続いたのでした。。。
ふと気がつくと、制作の忠地あずみが、到着していました。
本当はゲネプロに間に合うように、航空券を手配していたのですが、その便が人数が少なく、欠航してしまい、3時間遅れの便になったとのこと。
東京は強風だそうで。
でも無事合流できて、ほっとしました。

さて、ピノッキオがくじらのおなかの中で、ジェペットおじいさんとめぐりあえてから脱出し、ラストシーンへ向かう最終章は、全編とぎれることなく、歌で進んでいくので、英語あるいはマレー語で表現できるところがほとんどないのです。日本での稽古の過程でも、さんざんそこのところは話し合ってきていたことだけれど、ここに来てまた議論しました。
何度も考え、何度も迷いましたが、最終結論は、日本語で通す、ということに。音楽と動きで伝えきる決意を新たにした、というわけです。

さて、ホテルに戻り、大型洗濯機でみんのものをまとめて洗濯することになり、今日はオカハラが飲み会に行くのをがまんして、洗濯係を引き受けてくれました!

伊藤、萩、山崎、忠地といういい女4人が、基金の島田さん、英訳をしてくれた滝口さんたちと飲みに出かけました。
パパタマフマラの小池さんたちと合流し、伊藤多恵さんのダンスの仲間とも出会えて、盛り上がりました。
話題はもっぱら、体育大学のキビシイ日常のお話。
楽しく聞かせてもらいながら、多恵さんはやっぱり鍛えられ方がちがうなあ、とつくづく思うのでした。
ハードな状況になればなるほど、多恵さんは燃えてくる。
でも、こんにゃく座もどちらかというと、そういう質かも・・・。
ピンチに強い。
トラブルが起きると闘志が燃え上がる。

とまあ、長い一日がまた終わりました。
明日は初日。


5月12日(土)

ついに初日がやってきました。
オペラ『ピノッキオ』世界初演。
15時から一回め。
こどもがたくさん来ている。
客席はにぎやか。
しかし、オペラがはじまると、集中して、内容に反応してくれる。

反応はとてもあたたかく、マレー語で表現した部分は大いに喜んでもらえているようだ。
でもまあ、昼の公演はバタバタしてしまった。
昨日のゲネプロといい、この「バタバタした・・・」という言い方でしか言いようのない感じ。
昼と夜の間にダメ出しと確認稽古少々。
夜の部は、20時半開演。
開演時間が遅い理由は、18~19時ころはお祈りの時間なので避けるということでした。
夜の部は、昼とはうって変わって、いろいろなことがうまく展開し、客席も大いに沸き、終演後のロビーはサインと写真責めで、大盛況でした。
ロビーで初日の乾杯!
今日は当日券がたくさん売れたそうです。
テレビの効果もあったそうです。
ちょっとうれしいですね。
帰りの車のなかは、昨日とはずいぶんちがって、今日はみんなおしゃべりでした。
今日は初日で、いろいろ思うことがありますが、速報としてはうまくまとめられませんでした。
また追々書きます。

萩京子

お見送り:大翼

そして終演後。ロビーでちびっこと記念撮影するピノッキオです。



10分前です:大翼

16時より、いよいよオペラ「ピノッキオ」の幕開けです。本番直前の楽屋より。



ピノッキオの現場から

ピノッキオ組から写真が届きましたので載せます。
9日の萩さんの日記と合わせてお楽しみくださいw

屋台にて:タイガービールギャルに注がれる大ちゃん

萩さんメイク中

インタビュー中

パフォーマンス中、本当は右横に萩さんがピアニカ吹いてます


破れゆく靴:島田

窓辺に置いた椅子にもたれ…。

靴が大変なことになって悲しい島田です。
萩さんも書いている通り、靴が破れていっています。
今回の靴は、いわゆる市販の「上履き」に
ジャージ生地を貼って作られていますが、
これがまあ破れる破れる。フィガロ組のシューズもよく破れますが、
それどころではありません。

ここの会場は板張りの床に塗装をしてあるのですが、
これが実にざらざらしているのです。
そりゃあジャージも破れます。
日本にメールで緊急連絡です。

「残布を持ってきてください!」

こんなに簡単に連絡できるなんて、便利な時代になりました。
明日はオペラ「ピノッキオ」、世界初演!
頑張って靴を直します。寝られるだろうか。



ピノッキオの現場から:萩京子

5月9日(水)

6時30分 調布発リムジンバス。
8時5分 成田着。
集合は9時。早く着きすぎ~!
ハイエース組、スカイライナー組の順に到着。
個人の液体持ち物(化粧水など)、刃物等を制作のトランクに入れるなどの作業をする。
海外への旅はいろいろ面倒なことが多い。
この間、作ってきた自前のお弁当を食べる人あり。←オカハラ
本隊より1時間早く、高野、島田がマレーシア航空にて飛び立つ。
本隊は11時25分発JALにて。
機内食のお昼を食べた直後から爆睡!
7時間のフライト。
疲れた~!
時差は1時間。
クアラルンプールの空港にて、高野・島田と無事合流。
国際交流基金の島田さんが迎えに来てくれている。
まずは劇場へ。
2003年の『セロ弾きのゴーシュ』公演をおこなったアクターズスタジオ。
荷下ろし。
箱(袋)の中で小道具は壊れていないか?
・・・おおむね無事のようだ。
アコーディオン他、楽器もおおむね無事。
ひと安心。
明日の朝、テレビ出演があり、インタビューを受けることになっている。
そこで、「ピノッキオのテーマ」を歌おうということになる。
スタジオにピアノがないので、アコーディオンとピアニカで演奏するための稽古をする。
マレーシア時間の9時すぎ。(日本時間では10時すぎ)
もうおなかがペコペコである。
ホテルにチェックインしてから、屋台街へくりだし、旅の初日を祝った。
長ーい一日でした。

萩京子

5月10日(木)

朝7時40分、役者4人と萩、山崎はホテルのロビーに集合。
車で1時間ほどの距離のテレビ局。NTV7へ。
「ザ・ブレックファースト・ショー」という朝の生番組に出演。
キッチンとリビングルームのようなセット。
ピノッキオ役の井村と作曲の萩がインタビューに答えた後、「ピノッキオのテーマ」を歌い踊る。
4人が歌い踊るには狭すぎるセットで、「ピン・ピン・ピン・・・」と、まあ、涙ぐましい奮闘と思ってください。
生放送で、なにもかも「その場」の機転でどんどん進行していくスタジオを目の
あたりにしてびっくりした。
打ち合わせやサウンドチェックをやることになっていたのに、結局やらないまま、放送に突入してしまったのでした。
(放送された映像のビデオをもらったので、夜ホテルで見たら、大笑いでした!)
さて、テレビ局から劇場へ向かう。
舞台監督のくすちゃんと、高野・島田、演出の伊藤多恵さんは、すでに劇場に入って、照明の仕込み等、進めてくれていた。
(多恵さんはお散歩中!)
さて、出演者一同は、これまでマレーシアバージョンとして部分的に英語でセリ
フを入れて稽古していたのだが、マレーシアの国語であるマレー語も織り交ぜようことになり、通訳のハフィズさんの指導のもと、語学の練習。
お昼を食べた後、はじめからていねいに小道具であるドンゴロスの置き場所と、
居場所をあたっていった。
アクターズスタジオは、三方が客席に面しているので、上手・下手のお客様からの見え方を気にしながら、少しずつ変更していく。
劇場の冷房はすさまじくよくきいている。
温度調節は不可。
ONかOFF。
つけたり消したりしながら、長~い舞台稽古は進んでいくのでありました。
みんなの履いているくつがどんどん破け初め、小道具の傘が壊れ、稽古終了30
分まえに、クジラの小道具も壊れました!
ひゃあ!
この日記は、舞台稽古中に、ピアノを弾く合間にノートに書きました。
ホテルに戻ってから、パソコンから送信します!

萩京子

F組も元気です。 by.うーぽむ

今日はフィガロのお稽古。
町田の演劇鑑賞会の方が見学にきてくださってました。
全員で記念写真もとりましたよ!!6月1日にまたお会いしましょう!!

そして、今日はパナの誕生日でした。
稽古終わりにみんなで♪ハッピバースディ♪ケーキはケーニヒスクローネ!!
おいしかったです。


2×歳になりましたw


ケーキ奉行(こまきち先生)と見守る人たち



見送りに行ってきました!リエ

いよいよ出発!成田空港まで、海外公演「ピノッキオ」組をお見送りに行ってきました~!
みんなテンション高め!?
私も一緒に行くわけでもないのに、ウキウキしちゃいました。

先に出発する、うるおさんと大ちゃん。出発ゲートで一枚。
上手く撮れなかったんですが、わかりますか?真ん中で手をあげてるのが大ちゃんです。
この青いビニールシートで作った、5つの袋の中に大道具、小道具、衣装を詰め込んで、長い旅にでかけます。
最後にパチリ。

みんな気を付けて行ってらっしゃい~。海外からの日記楽しみにしています。
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ピノッキオ稽古場日誌:オカハラ

本当にいよいよ出発します。
応援してくださったみなさま、ありがとうございます。なんとか出発までたどり着けました。
しかし、このあとが・・・またもや、恐ろしいなあ。
6日に試演会を終え、7日はあっというまの舞台道具の荷造り。8日は各自自分の準備というスケジュールでした。
わたくしは、7日の荷造りのあと、着ていく服を買い、針の治療に行き、いよいよ自分の荷造りをはじめました。
8日は、各国の言葉のCDを自分の喋る部分だけ、ボイスレコーダーに物凄いロウテクで録音し直して、頭から段取りと音の再確認をして練習。(音程より段
取りが勝負。いやいや、それより小道具をどうスタンバイするかが命)
郵便局に振込に行き、薬を買い、美容院に行って、帰りに寿司を買って帰って・・・。
最後の大仕事。不義理をしている親に電話。これが最高につかれます。
私「なんか、あったら、麦に連絡して」
母「なんかあったらって、連絡したら帰ってくるっちゅうんかいな?無理やろ?」
私「だから、もしもの時ってことやんか」
母「もしもっって、死んだらかいな?死んだら知らせたってしゃあないやろ!あんたが死んだかて、そんな遠くまで行かれへんでえ!なんかに巻き込まれて政
府が金だしてくれるんやったら行ってもええけどなあ」
一時間みっちり喋りました。はあ、疲れた。まあ、しかし、親が元気で安心。

ところで本題。
わたしたちのピノッキオは最後おじいさんを背負って何時間も泳ぎ続けます。
おじいさんが「お前、いい子になった、強いだけでなくやさしくなった」
というとピノッキオは「旅で色んな人と出会ったからだ」といいます。
旅がピノッキオの学校だったんです。
「いい子になったから人間になれるだろう」
というと
「いいんだぼく、木の人形でも強くたくましくやさしくなれた。人間の子供になれなくても幸せになれるんだ、元気で生きていけるんだ!」と語ります。

私達も泳ぎ続けています。強くたくましく、やさしいオペラを持ってアジアを泳ぎ続けます。
ほなら、行ってきまああす。
海の向こうから日記が送れるよう努力いたします。

ピノッキオ稽古場最終日誌:萩京子

5月6日(日)雨。
『ピノッキオ』は海外で初演するので、稽古最終日のこの日は試演会をやりました。
午後4時、座員、関係者等90名以上の見守るなか、80分一本勝負『ピノッキオ』が上
演されました。
ひとたび始まってしまうと、一気に進む『ピノッキオ』。
いろいろ失敗はありましたが、なんとか終わった!
終演後、「おもしろかったよ。気をつけていってらっしゃい」というあたたかなこと
ばにつつまれて、出演者一同、ボーっとしていると、演出家の伊藤多恵さまが、「6
時半からダメだしね。それから、もう一回通すよ~!」と、のたまう。
さすがの岡原や萩も、食欲がなかったです・・・。(笑)。
そして、その後は、通しはしなかったものの、とみやんの報告にある通り、なんべん
もなんべんも・・・という稽古が10時ころまで続いたのでした。

開けて5月7日(月)晴れ。
さわやかな5月の風。
気持ちいいなあ。
しかし、帰ってくるころは、梅雨なんだなあ。
今日はパッキングデイ。
飛行機に載せるべく、荷造りをします。
大道具というものはなく、すべて小道具。
その小道具が役者と一体となって、大道具の役割を果たすのがミソ。
「謎の物体」としか言いようのない、5つの箱状(袋状)のものと、楽器トランク1
個とスーツケース2個。それですべて。
旅するオペラ劇団の真骨頂です!

その後、渡航説明。
マレーシア等のビザも発行され、パスポートが手元に戻り、航空券も手渡されまし
た。
これから先は自己管理!

これから一日半で、準備と休養。
マッサージに行ったり、お医者に行ったり、買い物したり、海外公演以外の座の仕事
も少々。
あっという間に、5月9日はやってきました。
ああ!日付が変わってしまった。
ちゃんと寝てから、出発します。

それではみなさま、行ってまいりまーす!

萩京子

あきらめない(とみ)

今日は夕方から、「ピノッキオ」試演会でした。

座員や関係者が見守る中、80分ノン・ストップ、汗を飛ばしながらの熱演でした。

よくぞ、ここまで…

目頭が熱くなりそうになりました。

終演後、作曲兼ピアニスト兼ピアニカ兼カズー兼太鼓兼枝も差す代表萩京子の
「いってきます!」
の一言があって、拍手で出演者達は送り出されたのでした。



で、終わらないのが伊藤多恵。

夜は、ダメ出し&稽古。
何度も繰り返し繰り返し繰り返し…。

ぴょんこに手取り足取り熱血指導。

他のみんなも繰り返し繰り返し…×10回ぐらい。

何をしてるかというと…

紙ひこうきを飛ばしているのでした。

美しく飛ぶまで、何度も繰り返し繰り返し。
紙ひこうきが美しく飛んだら次のシーン。

そのシーンが終わったら演出が、
「(今日は)以上!それから…」

ずっこける一同。

そんなこんなでやっと終了。
お疲れさまでした。

演出家によると、
現地でやる場面を残してある。
そうです。

皆様、お疲れさまです。

片付けが終わっても、打ち合わせをする演出&演出助手。

「ビール、ビール♪」と、パンチ部屋でいそいそと酒盛りの準備をするピアニスト。